断言してしまえば異論のある方もいるだろうから、あえて語尾はぼかしておく。
佐々木朗希は、日本野球史上最高の投手──かもしれない。
何しろ、パーフェクトゲームをやってのけた男である。それどころか、あわや2試合連続でパーフェクトまで達成しかけた。松坂大輔も、大谷翔平も、そこまではいかなかった。史上最高かどうかはともかく、彼がとてつもなく傑出した存在であることに異論は少ないだろう。
だが、その巨大な才能を認める人であっても、「日本野球史上最高の投手」とまで言い切られると、どこか引っかかるものを覚えるのではないか。違和感なのか、反発なのか、あるいは拒絶感なのか。少なくとも、わたし自身の中には確かな引っかかりがある。
なぜか。
個人的な理由を述べれば、それは佐々木朗希という投手が歩んできた道のりが、昭和の常識、平成の基本からあまりにも遠い場所にあるからだ。
松坂大輔は、1試合で250球を投げたことがある。その翌日も、1イニングだけとはいえマウンドに立ち、決勝戦ではノーヒットノーランをやってのけた。令和の感覚、あるいはアメリカ球界の常識から見れば、ばかげているとしか言いようのない酷使だった。だが、それが爆発的な感動を呼んだのが、昭和であり平成の日本でもあった。
では、佐々木はどうだったか。
彼は高校生活最後の大会、甲子園行きがかかった岩手県大会決勝で、コンディション不良を理由に登板を回避した。松坂の登板に胸を打たれた人たちからすれば、到底受け入れがたい判断だったはずだ。だが、人生の目標をその時点でメジャーリーグに置いていたのだとすれば、当然すぎるほど当然の決断でもある。メディアの大御所まで巻き込んで、激しい賛否両論が起きたことを覚えている方も多いだろう。
もちろん、旧来のやり方にも一理はある。高校野球を建前どおり「教育の一環」として捉えるなら、青年期に困難や理不尽に向き合っておくことが、その後の人生に必ず生きるという考え方はある。正直、そうした価値観が令和になって完全に消えたとも、わたしは思わない。
だが、高校3年生の佐々木は、その旧来の発想からあまりにも遠い場所にいた。メジャーから逆算して考えれば、高校野球で肩を消耗させるのはナンセンスでしかない。ただ、自分が投げていればかなっていたかもしれない、仲間にとっては人生最大の目標だったかもしれない甲子園をかけた一戦での登板回避が、簡単な決断だったはずはない。仲間たちの笑顔や涙が脳裏をよぎらなかったとも思えない。それでも未来のための決断を貫いた意志の強さには、ただただ感服する。

ロッテに入ってからも、彼は自らの意志を貫き続けた。監督だった吉井理人は、マリーンズ時代の佐々木について「体調が万全でないときは投げたがらなかった」と、いくつかのメディアで明かしている。いかにも佐々木らしいエピソードだが、だとすれば興味深いのは、彼が昨年のワールドシリーズをどう見たか、である。
延長にもつれ込んだ第3戦の17回表。2日前の第2戦で完投勝利を挙げていた山本由伸が、ブルペンに向かおうとしたときのことだ。
「マジ?マジ?」
ベンチを映していたNHKのカメラは、見送る佐々木の口がはっきりそう動いているところを捉えていた。
仲間の苦境を救うため、疲れ切った自分の身体に鞭を入れる。限りなく松坂的であり、昭和的であり、きわめて日本的な決断だった。はっきり言えば、佐々木がこれまでできる限り遠ざけてきたはずのタイプの決断でもある。
あの瞬間、佐々木の胸中にあったのは、驚きだけではなかったかもしれない。「理解不能」に近い感情さえ、そこにはあったかもしれない。少なくとも、あのときの佐々木の表情が、山本の行動への感嘆だけで満たされていたようには、わたしには見えなかった。
だが、日本人の胸を打った山本の献身は、アメリカ人に対しても同じような効果を発揮した。メディアの論調を見ても、「日本人のやることは理解不能だ」と肩をすくめるより、「山本はすごい、日本人はすごい」と驚嘆する声のほうが圧倒的に多かった印象がある。
さあ、これがこれからの佐々木にどんな影響をもたらすのか。
佐々木は、日本野球史上最高クラスの投手かもしれない。だが同時に、日本野球史上もっとも未完成なメジャーリーガーでもある。
海を渡った時点での年齢はもちろん、プロとしてまだ1シーズン通して活躍した実績がないこと、そして何より、大谷翔平と比べれば圧倒的に細い体躯を見ても、彼に巨大な伸びしろが残されていることは明らかだ。
手足が長く、関節の可動域も驚異的に広い佐々木は、筋肉の鎧をまとわずとも160キロを超える剛球を投げてきた。加えて、目先の勝利のために徹底的に自分を追い込むという経験をあまり経てこなかったことが、海を渡った他の日本人選手と比べても肉体改造が進んでいないように見える一因なのではないか、とわたしは見ている。もちろん、体質的に筋肉がつきにくい可能性もある。だが、いずれにせよ現時点での彼の体格は、メジャーの剛速球投手の中では際立って細い。
そして、いまのままの細い身体では、どう転んでも山本の真似はできない。そのことを、佐々木は痛感したはずである。
それでもかまわない、とするのか。
それとも、本格的な肉体改造に踏み出すのか。
正直なところ、彼がどちらの道を選ぶのかはまったくわからない。今シーズンどんな活躍をするのかについても、1シーズン通して投げ抜いたことのないこれまでのキャリアを踏まえれば、「わかりません」と白旗を上げるしかない。
だから、今後の佐々木にどこを注目するかと問われたら、わたしは「彼の身体がどう変わっていくか」と答えたい。変わらないのか。変わるのか。
ただ、ひとつ確信していることがある。
年齢を考えても、すでに完成された感のある体格を見ても、投手としての大谷翔平がこれ以上の球速を大きく更新することは難しいだろう。更新するとしても、ごくわずかな数字にとどまるはずだ。
だが、佐々木朗希は違う。
あの細い身体であれだけの球を投げる男が、大谷翔平に匹敵するだけの筋肉を手に入れたら、いったいどうなってしまうのか。
彼は、そんな妄想をかき立てる、唯一の日本人なのである。
【文章】金子達仁
【写真】タケダユタカ