00年代に活躍した阪神OB 2人と食事をしていた時のことだ。何の拍子だったか、先輩格のAが後輩のBにこう尋ねた。
「お前、年俸1億行ったことあったっけ」
「いや、ないっす。Aさんは?」
「俺は……2~3年はあったかな」
本当にそれだけの会話だった。だが、Aが少し誇らしそうにし、Bが明らかに羨ましそうな表情を浮かべたことは、今でもよく覚えている。
彼らが現役だったのは、もう20年近く前。当時と今では、プロ野球選手の報酬も大きく変わった。メジャーに移籍すれば、一生かかっても使い切れないような大金を手にする時代でもある。年俸1億円という数字も、かつてほど特別ではなくなった。
それでも、NPBの選手にとっては今もなお、一流の入り口に立った証であり、「いつかはたどり着きたいライン」であることに変わりはない。だからこそ、我ながらダブスタだとは思う。思うのだが、それでも今回ばかりは「そこで満足してもらっては困る」と言いたくなってしまう。
清宮幸太郎である。

昨年末の契約更改で、彼の年俸は1億の大台に乗ったとされている。「されている」というのは、メディアで発表される年俸額というのはあくまで推定である。ただ、大台に乗ったか乗らないかという点に関しては、乗りそうな選手に対して記者側から「乗った?」という問いがぶつけられ、それに対する反応で推測することもあるというから、まったくの誤報というのはまずないらしい。
もっとも、契約更改のたびに懐事情を勘繰られるNPBの選手には、少し同情もする。とはいえ、こちらに興味がないわけではない。聞けるものなら、メッシやクリロナの年俸推移だって聞いてみたい。そういう意味では、個人的な欲求に応えてくれるNPBの選手には感謝でもある。
話を清宮幸太郎に戻そう。
彼の年俸が1億の大台に乗ったというニュースを聞いたとき、「わあ、凄い!」と思った人はどれぐらいいただろうか。わたしは、思わなかった。阪神の及川や石井が億越えをしたと聞いたとき、「おお、良かったなあ」と思ったくせに、どういうわけか、祝福も驚嘆もする気にはなれなかった。
理由の一つに、村上宗隆の存在があるのは間違いない。
あとになって、「いや、実は村上の評価は清宮と同格だった」だの、「自分はむしろ村上の方を推していた」といったスカウトや現場の声が漏れ聞こえてはきたものの、17年のドラフト会議時点で、清宮よりも村上を圧倒的に高く評価する人はいなかった。清宮よりも村上の方が早く1億円の大台に到達し、早くメジャーリーグへと渡り、2026年時点で、清宮の年俸をはるかに上回る額を手にするようになるなど、誰が想像できただろうか。
だが、誰も想像できなかったことは、現実となった。村上に光が当たれば当たるほど、ドラフト同期の清宮は霞んで見える。あの年のドラフト同期で、清宮と並ぶ高評価を受けていた安田尚憲がいまだ殻を破りきれずにいることを考えれば、年俸1億に到達した清宮は順調に成長しているとも言えるのだが、しかし、村上の存在がすべてを覆い尽くしてしまう。
入団4年目の22年、清宮は129試合に出場し、打率は2割1分9厘と低調だったものの、キャリア初の2ケタ本塁打(18本)を記録した。「いよいよ」と思われた方も少なくなかったはずだが、現時点で、シーズン18本は彼にとってのキャリアハイであり続けている。通算本塁打の数は、学年では1つ上、大学経由なのでプロ入りは3年あとになる佐藤輝明にあっさりと追い抜かれ、どんどんと引き離されているのが現状だ。入団時の会見で、清宮は早稲田実の先輩でもある王貞治の記録について「目指さないといけないという使命感がある」と語っていた。だが、通算868本塁打というその頂は、今なお仰ぎ見ることすら難しいほど遠くにある。
なぜ清宮は、期待された“怪物”の領域まで突き抜けきれていないのか。いや、十分に一流の域には達している。だが、なぜ村上や佐藤のような圧倒的な存在にはまだなりきれていないのか。パワーはある。スイングスピードは速い。それでいながら、しなやかさも兼ね備えている。ドラフト時、各球団のスカウトや専門家が絶賛した資質は、少しも色褪せてはいない。
それでいながら、現実の成績には差が生まれてしまっている以上、ファンやメディアの中から原因をメカニカル、フィジカルな部分ではなく、内面に求める声が上がるのもわからないではない。
要は、ハングリーさが足りない、といった声である。
清宮が恵まれた環境で育ったことは事実である。父は日本ラグビー協会副会長・清宮克幸。ラグビー界のカリスマにして、スポーツ界全般に知己の多い父親の方針もあり、彼は、幼少期から様々なスポーツに触れ合いながら育った。自宅の地下室にはバッティングゲージが設けられ、いつでも好きなだけ、誰にも迷惑をかけずに練習に取り組める環境もあった。一般的にイメージされるハングリーな環境とはほど遠い人生を送ってきたのは間違いない。
実際、世界の超一流と言われる選手に、幼少期に貧しい暮らしを経験している者が多いのも事実。見方を変えると、他のジャンル──たとえば経済界とか、政界とか、芸術関係とかに比べれば、いわゆる富裕層の出身は明らかに少ない印象もある。親の庇護によって得られるメリットよりも、本人の強い上昇志向がより大きな意味を持つ、ということかもしれない。
確かに、ここで負けたらのし上がれない、という状況にある者の方が、勝てなくても人生が保障されている者と戦えば、統計的に前者の方がより勝つ確率が高いということは理解できる。
ただ、それはあくまでも確率論である。

清宮については、忘れられないエピソードがある。彼がリトルリーグで世界一になった時だから、かれこれ十年以上前の話だ。お台場にあるJスポーツのスタジオで、アメリカからの衛星中継を父の克幸さんと観戦していたときのことだった。
「幸太郎君ってどんな子どもだったんですか?」
「幼稚園の時だったかなあ、椅子とりゲームみたいなのをやってて、あいつ、最後の2人まで残ったんですよ。でも、負けた。最後は女の子に席をとられた。そしたら、大号泣。ほお、この負けん気があるならスポーツ向いてるかなって思ったのを覚えてます」
確かに清宮幸太郎はお坊っちゃまかもしれない。その出自を殻を破りきれない原因とされることは、今後も続いていくかもしれない。
だが、三つ子の魂百まで、という言葉もあるように、彼は、本質的に負けず嫌いである。自らも一流のラガーマンとしてプレーし、指導者に転じてからは数多の才能を育ててきた父親を感心させるほどの負けず嫌いである。
たぶん、現状を一番悔しく思っているのは、本人なのだ。
本来右利きの清宮が左打ちをするようになったきっかけは、父親がファンだったチームの4番バッター、通算本塁打476本の金本知憲に憧れたから、だった。ちなみに、その金本が初めて20本以上の本塁打を打ったのは、プロ入り4年目、27歳になるシーズンのことだった。
清宮幸太郎は、今年、27歳になる。
【文章】金子達仁
【写真】タケダユタカ