個人的な話で恐縮だが、還暦を迎えた。
ありがたいことに、いろんなところから「還暦のお祝いをしましょう」と声をかけていただいた。いくつかの酒宴が開かれ、懐かしい顔と再会したりもした。大変申し訳ないことに、「ご無沙汰しております」と頭を下げられながら、「はて、この人、誰だっけ」と冷や汗をかいたのは一度や二度ではない。
ただ、何より申し訳なかったのは、先方が懐かしそうに数十年前のエピソードを語り始め、「あの時、カネコさんがこうおっしゃってくださったおかげです」と真正面からこちらの目を見据えてきた時だった。
おれ、そんなこと言ったっけか。
相手は本当に感謝してくれている。実にありがたい。にもかかわらず、本人にはそんなことを言った記憶が一切ない。間違いなくそう言ったのだろうが、覚えていない。
ただ、よく考えてみれば、これは決して珍しい話ではない。何より、わたし自身、会ったこともない人に勝手に感謝していたりもする。
たとえば、西武の源田壮亮である。
2023年、阪神は38年ぶり2度目の日本一に輝いた。村上頌樹がMVPと新人王を獲得し、野手では緻密なリードが光った坂本誠志郎も高い評価を受けた。
中野拓夢を優勝の立役者だと評価する声は、ほとんど聞かれなかった。
中野自身、自分はそんな立場じゃない、とでも考えていそうな気はする。ただ、2023年の中野はセ・リーグの最多安打打者であり、何より、広島・菊池涼介の11年連続受賞を阻んで、ゴールデン・グラブ賞を獲得していた。
2022年までの中野は、よく言えばまとまった、悪く言えば突出した武器のない、ごく平均的なショートストップだったという印象がある。
だが、2023年の中野は違った。岡田監督によってセカンドにコンバートされたことも大きかったのだろうが、個人的には、この年のWBC日本代表に選ばれたこと、そして源田とともにプレーしたことが大きかったのではと感じている。
源田といえば、守備である。
打球がショートに飛んだ瞬間、相手に「あ、ダメだ」と思わせてしまうほどの守備。中でも、その軽快さというか、オールドファンなら阪神の吉田義男さんを重ねるのではないか、現代の“牛若丸”とでも呼びたくなるのではないか、と思ってしまうほどに足さばきが素晴らしい。
実に滑らかに、しかも素早く打球のコースに体を運ぶ。メジャーにいるような運動能力のお化け的なショートではなく、日本的ショートの到達点とも言える選手ではないかと、わたしは思っている。
そんな選手と一定期間を共にしたことで、練習や会話を通じてそのエッセンスを取り入れられたことで、中野は変わった。
ショート時代にはあまり言われなかった守備範囲の広さが目につくようになり、背番号にちなんで“エリア51”なるキャッチコピーまで生まれた。
しかも、中野はただ日本代表に参加しただけではなく、出場する機会も与えられた。
正直、阪神ファンとしては、源田がいる以上、中野はあくまでバックアッププレーヤーであり、出場することはまずないと見ていた人が多かったはずだ。他ならぬ中野自身も、もちろん特有の緊迫感は感じながらも、自分がプレーヤーとして戦う未来はあまり想像していなかったのではないだろうか。
だが、その機会は唐突にやってきた。
23年3月10日に行われたWBC1次ラウンドのプールB、日本対韓国でのことだった。
韓国に3点のリードを許した日本は、直後の3回裏、先頭の源田が四球で出塁する。すかさず盗塁を決め、チャンスを広げた源田だったが、2塁牽制で帰塁した際、右手の小指を骨折してしまう。
試合後の取材で源田自身が語ったところによると、一度ベンチに下がって手袋を外した時点で、軽い負傷でないことはすぐにわかったという。
それでも、彼は何事もなかったかのようにランナーに戻った。ベンチの中野に「準備しといて」と声をかけ、2塁へ走った。
もし、この気遣いがなかったら──。
果たして中野は、通常の精神状態で試合に臨めただろうか。あたふたしたまま試合に出場し、思わぬ失策でも犯していたら、彼はどうなってしまっていただろうか。
国際試合での失策は、時に選手の人生を変えることがある。北京オリンピックで痛恨の落球を経験したG.G.佐藤の例を思い出せば、国際試合のミスが選手に与える重さは想像に難くない。
そうなっていたかもしれない可能性を、決して大きくはなかったかもしれない、しかし断じてゼロではなかった可能性を、源田はキッチリと潰し、年下のチームメイトにバトンを渡してくれた。
韓国戦に途中出場した中野は、2本の安打を放ち、エラーを犯すことなく勝利のハイタッチの列に並んだ。
WBCのメンバーに選ばれ、学び、出場し、結果を残したことが、その後の彼にとって無意味であったはずもない。
源田がいなければ。
源田が負傷しなければ。
負傷した源田の気遣いがなければ。
2023年以降の中野は、また違った人生を歩んでいたのではないかと、本気で思う。
なので、中野にとって、というより、一人の阪神ファンにとって、源田は恩人である。
本人からすれば「そんなことを言われても」的な案件だとは思うが、本当にそう感じているのだから仕方がない。
だからこそ、心配である。
2026年の源田が、ちょっと心配である。

入団以来、多くのシーズンで2割6分から2割7分台を記録してきた源田の打率は、昨年、2割9厘にまで落ち込んだ。基本的には“守備の人”とはいえ、あと少しで打率1割台に突入してしまう数字というのは、さすがによろしくない。
そう思っていたら、2026年6月下旬時点でも、源田の打率は1割台に沈んでいる。
チーム状況が昨年までとは変わりつつあるため、源田の不振をクローズアップするメディアはそれほど多くない。だが、“西武のショート=源田”というイメージにヒビが入りつつあるのは間違いない。
源田は、このまま下降線をたどってしまうのか。滝澤夏央をはじめとする急成長を見せる若手に、立場を奪われていってしまうのか。
そうあってほしくはない──というのは、わたしの願望である。
ただ、たぶん、中野拓夢をはじめ、WBCを戦った選手の中には同じように思っている人間が少なくないはずだ。それぐらい、あの大会における源田の貢献と献身は素晴らしかった。
そして、守備の価値は、打率だけでは測れない。

源田がショートにいることで、投手が安心して腕を振れる。内野全体の位置取りが整う。若い選手が守備の基準を知る。数字に表れにくい価値を、源田は今もチームにもたらしているはずだ。
だからこそ、打撃の数字だけをもって「終わった」と言うには、まだ早すぎる。
あのWBCがなければ、中野拓夢のいまはなかった。だが、“中野拓夢”の部分を“源田壮亮”に置き換えると、この文章は成立しなくなってしまう。
優勝メダルだけでなく、その後のための多くの知見を得た選手がいた一方で、少なくとも数字やキャリア上の見返りという意味では、源田がWBCから得たものは決して大きく見えない。
ただ、人間も還暦を迎えると、少し信心深くなってくる。
昔ならば絶対に思わなかっただろうが、いまのわたしは、野球の神様がWBCの“借り”を返してくれるのではないか、との思いを捨てきれずにいる。
つまり、源田壮亮が爆発する日は、また必ずやってくる、と。
⇒野球用品はこちら
【文章】金子達仁
【写真】タケダユタカ