Jリーグ助っ人列伝~記録に残る外国人選手(FC東京編)

(上写真:ルーカスはチームメイトにも、ファン・サポーターにも愛された)


2026年で34年目のシーズンとなるJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。W杯に出場したビッグネームがピッチを明るく照らし、国際的には無名な選手が確かな実績を残した。多種多様な足跡のなかから、今回はFC東京の歴史を彩った13人の外国人選手を紹介する。

 

●アマラオ
1992年にFC東京の前身・東京ガスの一員に。旧日本フットボールリーグ、J2、J1とチームがカテゴリーを上げていくなかで、実に9シーズン連続で2ケタ得点を記録した。長く日本でプレーした彼は、ブラジルから同胞が加入するたびに日本人選手との橋渡し役となった。ピッチの内外での献身的な姿勢はファン・サポーターの共感を集め、『キング・オブ・トーキョー』と呼ばれるように。03年のFC東京退団後は、湘南ベルマーレや日本フットボールリーグのクラブで現役を続けた。

 

●ジャーン
02年に同じセンターバックのサンドロの後継者としてスカッド入りし、06年まで5シーズンにわたって最終ライン中央に君臨した。相手FWとのマッチアップで激しく、かつクリーンにプレーし、チームの攻撃的なスタイルを守備から支えた。センターバックのコンビを組んだ茂庭照幸が04年のアテネ五輪、06年のドイツW杯でメンバー入りしたのは、ジャーンから多くを学んだからだろう。07年からは湘南ベルマーレの一員となり、09年のJ1昇格の一員となった。

 

●ツゥット(トゥットの登録名でもプレー)
クラブがJ2からJ1へ昇格した00年に、川崎フロンターレから期限付き移籍でやってきた。ダイナミックなプレーで相手守備陣の脅威となり、得点ランキング3位の17ゴールをマークした。アマラオとのブラジル人コンビはチームのストロングポイントとなっていたが、契約の関係により1シーズンでチームを離れた。その後は浦和レッズ、清水エスパルス、大宮アルディージャ(現RB大宮アルディージャ)、湘南ベルマーレでプレーしたが、日本でのハイライトはFC東京でのシーズンだろう。

 

●ルーカス
04年にアマラオに代わる得点源として来日。同年はリーグ戦で11得点を記録し、チーム初の3大タイトルとなるリーグカップ優勝に貢献した。在籍3年目の06年は、Jリーグでのキャリアハイとなる18得点をゲット。来日当初の純粋なストライカーから点が取れるトップ下へスタイルをアップデートし、守備面でもハードワークする現代的なプレーヤーへ変貌していった。08年から10年までガンバ大阪に在籍し、11年途中にブラジルで引退を発表。しかし、同年7月にJ2へ降格していたFC東京に電撃復帰。J1復帰を後押しすると、12年、13年とJ1で2ケタ得点を記録した。

 

●ブルーノ・クアドロス
セレッソ大阪、コンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)を経て、08年にFC東京の一員となる。同年はケガなどの影響でリーグ戦出場はわずか2試合だったが、翌09年は今野泰幸とセンターバックのコンビを組み、リーグカップ優勝に寄与するなど主力のひとりとして稼働した。ビルドアップの能力が高く、パスを配球しながら自らドリブルで持ち上がることも。日本語の習得に熱心で、来日2年目から日本語でコーチングをした。

 

●チャン・ヒョンス
長身でフィジカルに優れる韓国人選手として、12年に加入。同年は本職のセンターバックに加え、右サイドバックでも起用された。翌13年は森重真人とともにセンターバックのコンビを形成。14年から17年途中まで中国のクラブに在籍し、17年7月に復帰。18年はキャプテンを任され、開幕から好調のチームを牽引した。しかし、7月にサウジアラビアのクラブへ引き抜かれ、チームを去ることとなった。同じタイミングでスペインのクラブへ移籍した久保建英とチャン・ヒョンスがそのままプレーしていれば、18年のFC東京はJ1リーグのタイトルをつかめたかもしれない。

 

●アダイウトン
15年から19年までジュビロ磐田でプレーし、20年からFC東京入り。DFとの競り合いに強いタフなサイドアタッカーとして、2列目の左サイドを主戦場にスタメンでも途中出場でもつねに全力でプレーした。加入1年目の20年には、リーグカップ決勝でゴールを決め、11年ぶり3度目の優勝の立役者となった。23年限りでFC東京を離れ、26/27シーズンはJ2の横浜FCに在籍する。35歳となった現在も、試合の流れを変えるジョーカーとして貴重な戦力となっている。

 

 

ディエゴ・オリベイラはクラブ史上最多のJ1リーグ出場を記録


●ディエゴ・オリベイラ
16年に柏レイソルに加入し、18年に期限付き移籍でFC東京の一員に。同年に13得点を記録すると、翌19年から完全移籍。24年まで4度のシーズン2ケタ得点をマークし、取り換えの効かない存在として攻撃の中心となった。力強さとしなやかさ、それに決定力を併せ持ち、チームリーダーとしてキャプテンマークを巻くことも多かった。J1通算280試合出場は、FC東京に在籍した外国籍選手で歴代最多(26年9月末日現在、以下同)。通算91ゴールは外国人選手歴代7位で、FC東京に在籍した外国人選手ではルーカスの90点を上回り最多。24年にFC東京でプロキャリアに終止符を打った。

 

●レアンドロ
Jリーグデビューは17年の鹿島アントラーズで飾った。1年目に23試合出場11ゴールを記録したが、18年、19年は特筆すべき成績を残せず。20年にFC東京へ期限付き移籍すると、ディエゴ・オリベイラ、アダイウトンとのブラジル人トリオが機能。チームトップタイの9得点を記録した。翌21年も、3人のコンビネーションは多くのゴールを生み出した。

 

●ヤクブ・スウォヴィク
クラブ史上2人目の外国人GKとして、22年に首都のチームへ。19年から21年まで在籍したベガルタ仙台では、至近距離からのシュートに抜群の反応を見せ、勝点をもたらす守護神としてFC東京に迎えられた。22年は期待どおりにシーズンを通して稼働したものの、23年はシーズン途中から野澤大志ブランドン(現在はロイヤル・アントワープ/ベルギー)とのポジション争いが激化。徐々に出場機会を減らすこととなり、同年限りでチームを離れた。現在はJ1の水戸ホーリーホックに在籍。

 

●アレクサンダー・ショルツ
21年シーズン途中から24年まで浦和レッズでプレーし、センターバックとして堅牢な守備組織を構築しつつ、ビルドアップの局面で攻撃センスを発揮。長短のパスを自在に操り、プレッシャーを受けても慌てることなくパスをつないでいった。カタールのクラブへの移籍を経て、25年6月にFC東京の一員としてJリーグに復帰。浦和在籍時と同様にディフェンスはクリーンかつアグレッシブで、ビルドアップの局面でもかつてと変わらない存在感を見せている。

 

 

20歳で来日したマルセロ・ヒアンは、シーズンを重ねるごとにアップデートしている


●マルセロ・ヒアン
22年に当時J2の横浜FCでJリーグデビューを飾り、24年に当時J1のサガン鳥栖で14ゴールをゲットしてブレイク。25年からFC東京のユニフォームに袖を通している。25年は30試合出場で8得点の成績を残し、松橋力蔵監督とチームメイトの信頼をつかんだ。188センチ、83キロの恵まれたサイズを生かし、サポートがない局面でもボールを運ぶことができる。そのうえで、シーズンを重ねるごとにシュート精度を磨いてきた印象だ。

 

●キム・スンギュ
韓国代表として14年、18年、22年、26年のW杯でメンバー入り。Jリーグデビューは16年のヴィッセル神戸で、19年途中まで正GKとしてプレーした。母国・韓国のクラブでのプレーを挟み、20年から22年途中まで柏レイソルのゴールに鍵をかけた。その後はサウジアラビアのクラブでプレーし、25年6月にFC東京へやってきた。9月30日で36歳になったが、シュートストップやクロス対応は依然としてトップレベル。9月・10月の韓国代表の活動にも招集されている。
 

 

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【文章】戸塚啓
【写真】佐野美樹

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