ドジャースに始まり、ドジャースに終わった。
それはアメリカ人にとってだけではなく、日本人にとっても同じだった。日本野球界にとって、25年という一年は、そう総括されるほかない年だった。
ずいぶん昔のことのように感じられるが、今年のメジャーリーグ開幕戦は東京で行なわれた。ドジャースとカブスは、開幕前にそれぞれ巨人、阪神とオープン戦を1試合ずつ戦っている。その中で強烈な印象を残したのが、左キラーとして名高いドジャースのスネルから放った、阪神・佐藤輝明の一発だった。
その佐藤が、シーズンを終えてみれば、あのランディ・バース以来となるホームラン王を獲得する。ドジャースの動向が、日本のプロ野球界の未来図にまで影響を及ぼした――そう言っても大げさではない。佐藤本人が開幕直前、スネルからの一撃について「あれで満振りしなくてもいけるんやって、手応えがつかめました」と語っていたのだから、その因果関係は決して想像の産物ではない。
“始まり”のインパクトも凄まじかったが、“終わり”のドラマはそれ以上だった。野球に限らず、スポーツというものは、肩入れしているチームがなければ、面白さは半減する。いくら大谷翔平が、山本由伸が、佐々木がいるとはいえ、阪神ファンのわたしにとって、ドジャースは思い入れゼロに近いチームだ。
それでも、その試合は空前絶後に面白かった。アメリカのメディアの中には「史上最高のワールドシリーズ」と評したところもあったが、正直、野球という枠を外し、他のスポーツのビッグイベントと比べても、「史上最高」と断言する人は少なくないだろう。そう思わせるだけの熱量と密度を備えた、とてつもないシリーズだった。

その舞台で、ひときわ強烈な印象を残したのが山本だった。ワールドシリーズで彼が示したものは、単なる好投やタイトルではない。日本人選手が、世界最高峰の舞台で「主役」として振る舞えるという事実そのものだった。わたしは、あれを途轍もない偉業だったと思っている。
そして忘れてはならないのが、その戦いの中心に、日本人が3人もいたという事実だ。単にそこにいただけではない。それぞれが、勝敗を左右する局面で、極めて重要な役割を果たした。これは、日本という国にとって、望外の贈与と呼んでもいい出来事だったのかもしれない。
いま、アメリカでは日本人メジャーリーガーが、ヨーロッパでは日本人サッカー選手が、着実に存在感を高めている。日本人アスリートが世界で評価されることは、もはや驚きではなくなりつつある。その流れを、あのワールドシリーズは、これ以上ない形で可視化した。
その一方で、ドジャースが残したインパクトの大きさゆえに、相対的に影が薄くなってしまったのが日本のプロ野球だった。日本シリーズの内容も、全国的な盛り上がりも、ワールドシリーズと比べれば見劣りしたと言わざるを得ない。阪神ファンとしては忸怩たる思いだが、この現実は受け止めるしかない。

こてんぱんにやられた日本シリーズを終えて、まず浮かんできたのは素朴な疑問だった。――去年のベイスターズ、よく勝ったよな、こんなチームに。
そして思い出したのが、何年か前、工藤公康さんに話をうかがった時のやり取りである。
「85年の日本シリーズ、負けると思ってました?」
「いやあ(苦笑)」
「なぜ負けたんですか?」
「いやあ(苦笑)」
前評判では圧倒的に西武有利だった85年の日本シリーズは、4勝2敗で阪神が球団初の日本一に輝いた。80年代の西武は、日本シリーズ2連覇を1回、3連覇を1回という文字通りの黄金時代を築いており、阪神に敗れていなければ4連覇を達成していたはずだった。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と語った野村克也さんとは対照的に、工藤さんの反応には、いまなお「なぜ負けたのか」という疑念が残っているように感じられた。
勝った側のファンとして後づけで理由を探すなら、西武最大の敗因は油断だったのではないかと思う。最初に2つを落としたあと、甲子園で2つを取り返した。その時点で生まれたであろう「これで大丈夫」という過信が、そこからの連敗につながったのではないか、と。
この仮定に立てば、ベイスターズが“まさかの”(失礼!)日本一に輝いた昨年の日本シリーズも説明がつく。ホークスが最初の2試合を取った。そのこと自体が、ホークスにとっての敗因だったのではないか。
だとすれば、今年の日本シリーズで阪神が惨敗した要因の一つも、敵地・福岡で初戦を取ってしまったことにあったのかもしれない。日本シリーズで一度も勝ったことのなかった地での勝利。前評判も阪神優位――。
長く登板から遠ざかっていたデュプランティエを先発させ、一方的な展開となった第2戦は、このシリーズを象徴する試合だった。火がついたホークス打線を最後まで封じきれず、6番以降の打線、レフトやショートの差は、あまりにも歴然としていた。
つまり、ホークスに油断を生じさせる隙すら与えなかったこと。それが、阪神にとって最大の敗因だったのだろう。
おそらく、阪神ファンが史上もっとも自信を持って臨んだ日本シリーズで、たった1勝しかできなかったという衝撃は相当に大きい。ドラフトで大学球界ナンバーワン野手と呼ばれた創価大・立石正広を獲得できた喜びも、あれほどの戦力差を見せつけられてしまえば、どうしても霞んでしまう。
むしろ、80年代の西武になぞらえるべきかもしれない。ホークスは、再び黄金時代に突入しつつある──そんな予感を強く抱かされた日本シリーズだった。クライマックスでホークスを苦しめ抜いたファイターズの存在もまた、均衡しつつあったセ・パのパワーバランスが、再びパの側へと大きく傾き始めていることを示している。
というわけで、苦い思いを抱えた阪神ファンとしては、ついこう思ってしまうのだ。
来年も、ドジャース、来てくれないかなあ。
――そんなことを考えてしまうほど、2025年は特別な一年だった。
【文章】金子達仁
【写真】田中雄二(1枚目、2枚目)、大谷翔(3枚目)