2026年9月20日、トレッサ横浜で開催されたスポーツデポのイベントに、松坂大輔さんが登場した。横浜高校で甲子園春夏連覇を達成し、西武ライオンズやボストン・レッドソックスなどで活躍。日本代表としても世界の舞台で戦ってきた松坂さんが、高校時代の転機やメジャーでの経験、次世代への思いを語ったトークショーの模様をお届けする。
■横浜で振り返った、厳しい高校生活と進路の決断

開演前から人が集まる会場では、買い物に訪れた人たちも足を止めていた。これから松坂さんが登場すると知り、そのままトークショーを待つ人も。立ち見客を含め、約300人が集まった。
拍手と歓声に迎えられ、松坂さんが笑顔で登場した。

「松坂大輔です。こんにちは。よろしくお願いします」
トレッサ横浜を訪れるのは、今回が初めてだという。


イベント前には野球売り場を訪れ、スパイクやボールを手に取った松坂さん。売り場を巡る様子は、YouTube「スポーツデポ・アルペン チャンネル」で公開予定。
「外から見て、でっかいなと思いました。すごいですね、規模が。さっき店内もちょっと見させてもらったんですけど、何でもあるなと思いました」
高校時代を過ごした横浜で、まず振り返ったのは、入学当初の厳しい日々だった。

「入学してから半年間は、本当にきつかったですね。強豪校でやっていた選手には多いと思うんですけど、お金をいくら積まれても1年生の時には戻りたくない。僕もその感覚です」
そもそも、中学生の頃は帝京高校への進学を考えていたという。東京で育ち、甲子園で戦う帝京の姿に憧れ、進路も「9割方」決まっていた。
気持ちが変わったのは、中学3年時に日本代表として訪れたブラジルでのこと。ともに過ごした中本牧リトルシニアの選手たちから、横浜高校へ進もうと誘われた。
「すごい選手が横浜に集まるんだったら、甲子園でもやれるんじゃないか、勝てるんじゃないかという気持ちに変わりました」
両校の練習を見たうえで、横浜への進学を決断。その仲間たちとの出会いがなければ、帝京に進んでいたと思うと振り返った。
■ピンチで自分を信じられるだけの練習をしていたか
小学生の頃は、野球をしていて緊張することはほとんどなかったという。うまくいかないことがあっても、試合をする楽しさの方が大きかった。
しかし、年齢を重ねるにつれて、ミスをする怖さも知るようになる。大きな転機は、高校2年の夏の県大会だった。

「自分のミスで甲子園への道を絶って、3年生の高校野球をそこで終わらせてしまった。その責任を感じたことも、大きなきっかけでした」
敗れた場面で、自分はどのような精神状態だったのか。振り返ることで、練習への向き合い方が変わった。
「絶体絶命のピンチでも、自分なら抑えられるという気持ちになれなかった。なぜそう思えなかったのかと考えたら、自信が持てるまでの練習をしていなかった、という結論に至りました」
それまでは、監督やコーチに追い込まれることが中心だった練習が敗戦を境に、自ら苦しい練習に向かうようになったという。
その変化は、グラウンドの外にも表れた。背中を押したのは、横浜高校時代の恩師、渡辺元智さんの教えだった。人が嫌がることに自分から取り組む姿勢が、自分を変えるきっかけになる。そう言われた松坂さんは、朝食前に寮のトイレを掃除するようになった。

最初はストレスを感じた作業も、続けるうちに、きれいになった場所を見て気分よく朝食を取れるようになったという。
「積極的にトイレ掃除に行く選手はあまりいなかったので、そこは自分が行きましたね」
■メジャーでは、もう一度「一から学ぶ」
メジャーリーグを目指す気持ちは、中学生の頃からあった。野茂英雄さんの活躍によって、海外でプレーする未来を、より具体的に思い描くようになったという。

「高校に行って、甲子園に行って、プロ野球に入って、プロで活躍して、アメリカに行く。そういうことは何となく考えていました」
メジャーの選手が出したトレーニングやピッチングの本を、自分で買って読む。英語の勉強にも取り組んだが、現地で耳にする言葉や話し方には、想像以上の違いがあった。
「自分が今まで経験したことのない文化を学びに行くという姿勢もあったので、また新しい勉強の時間が始まるなと思っていました。一から勉強するつもりで行ったので、いい人生勉強になったと思います」
チームメートとも、できるだけ通訳に頼らず、自分からコミュニケーションを取ろうとした。選手たちは松坂さんの英語力を理解して接してくれ、言葉を教えてくれることも多かったという。
自身は日本のプロ野球で結果を出し、自信をつけてからアメリカへ渡る道を選んだ。だが、今の時代に高校生だったら、もっと進路に悩んでいたと思うとも話す。横浜高校の後輩で、進路が注目される織田翔希投手にも、どの道に進んでも将来が楽しみだと期待を寄せた。
「選択肢が増えて、うらやましいですね。その分、選ぶのも難しくなっていると思います。いろいろな人にアドバイスを聞きながら、最終的には自分で決められたらいいんじゃないですかね」
■数値も感覚も大切にする。それでも変えない練習への姿勢

トークでは、「今の時代に全盛期の松坂大輔がいたら、どう野球に取り組むか」という問いも投げかけられた。
真っ先に挙げたのは、数値を活用した練習だ。現役時代は自分の感覚を重視していたが、今のような環境があれば、積極的に取り入れていたと思うと話す。

「もっと若い時にそういう練習の取り組み方があったら、積極的にやっていたと思います。自分の感覚も大事にしますけど、もっと数値を考えながら、トレーニングや試合に取り組んでいたんじゃないですかね」
一方で、数値に意識が向きすぎることへの懸念も口にした。
「自分の様々な数値を知ることも大事ですけど、試合やトレーニングの中で感じる感覚も大事にしてほしいです」
新しい方法を取り入れても、変えないことはある。繰り返し練習し、技術を体に覚えさせることだ。
「僕は正直、そこまで器用な人間ではなかったので、とにかく数をこなさないと覚えられないと思っていました。本当の技術は、体力がないと維持できないものだと思っていたので、体力をつけることはやったんじゃないですかね」
■松坂世代は、今も「みんなで頑張ろう」という仲間

長く競い合った同世代との交流についても、話が及んだ。
「プロに入った頃から、上の世代にも下の選手たちにも、本当にみんな仲がいいよねと言われていました。頻度は少し減りましたけど、今も連絡は取っています」
近況を伝え合い、都合が合えば食事やゴルフへ。現役時代も、相手に負けたくないから距離を置くという雰囲気は、あまりなかったという。
「僕は、みんなで頑張ろうという感じでした。他の選手が僕のことをどう思っていたかは、わからないですけどね」
藤川球児さんや和田毅さんとは、アメリカでの経験に加え、肘の手術やリハビリについても話をしてきた。監督として戦う藤川さんの姿には、今も刺激を受けている。
「大変なポジションをやっているのは知っていますけど、その中で戦っている姿には、僕らも勇気をもらえます」
■「それを僕に聞きますか?」子どもたちへ伝えた練習のヒント

来場者からの質問コーナーでは、中学校で捕手を務める参加者が、理想のキャッチャーについて尋ねた。
松坂さんが挙げたのは、「こいつなら任せられる」と思える捕手だ。打者の研究や捕球の練習など、普段の取り組みを見ているからこそ、マウンドで信頼して投げられるという。
「言葉というよりも、プレーで信頼を得てほしいですね。的が大きく見えると、ピッチャーはすごく安心します。どんなボールが来ても止めてやるという雰囲気のあるキャッチャーは、すごく投げやすいです」
続いて寄せられたのは、コントロールをよくする練習についての質問だった。

「それを僕に聞きますか、という感じなんですけどね」
松坂さん自身、高校1年生ぐらいまでは制球に苦しみ、四球を連発して試合を壊してしまうことがあったという。そこで取り組んだのが、ホームベースの上に置いたボールを狙って投げる練習だった。

「強く投げる必要はないので、キャッチボールの延長です。置いてあるボールに当てる練習をひたすらやりました。自然とリリースポイント、ボールを離すタイミングを身につけられると思います」
自身が取り組んだ練習を紹介し、最後は「絶対やってよ」と念を押した。
■毎日、野球道具に触る。引退まで続けた小さな習慣


トーク後は、サイン入りのスパイクやトレーニングバット、ボールが当たるじゃんけん大会を実施。ツーショット撮影会も行われ、来場者と交流した。

この日、松坂さんが繰り返し伝えたのは、毎日続けられることを見つけてほしい、という思いだった。
自身が引退まで欠かさなかったのは、野球道具に触ること。ボール、バット、グローブ。肘を手術した時も、ボールには触っていたという。
「野球から離れたいと思った時もありましたけど、それでも野球道具に触ることはやめませんでした」
難しいことでなくてもいい。毎日挨拶をする、周囲に感謝を伝える。そんな身近な行動を続けることも、自分の強さにつながると話す。
最後の挨拶でも、来場者にこう呼びかけた。

「何かを始めることに、遅すぎることはないと思います。本当にちょっとしたことでもいいので、毎日続けられるものを見つけて、過ごしてもらえたらと思います」
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【写真】軍記ひろし
【取材・文章】池田鉄平