監督は、装う。
どこの国籍、どんな年齢、どの競技の監督であっても、装う。装って、自分はすべてを理解し、把握している、わたしに任せておけば大丈夫だ、と思わせようとする。
そう演じている、と言ってもいい。
教えてくれたのは、FC琉球で総監督をやっていたときのフィリップ・トルシエだった。
そもそも、なんで当時JFLの弱小チームに過ぎなかったFC琉球に、元日本代表監督という超大物がやってきたのか。簡単にいえば、チームのオーナーに就任した、いまは格闘技イベント『RIZIN』の主催者でもある榊原信行さんが、「沖縄にサッカーの火をつけるには目玉がいる。中田英寿さんを復帰させるとか、トルシエに監督やってもらうとかって無理ですかね」と言い出したからだった。
中田英寿さんには「イヤです(笑)」とあっさり断られた。となれば残るはトルシエ。パリで会うアポを取り付け、沖縄ソバを持参して口説きにいった。日本代表監督時代、彼が日本蕎麦にハマったことは知っていた。
指定された会合場所は、JALホテルのラウンジだったと思う。
「あなたが日本蕎麦を好きなのは知っている。わたしたちは、この麺をソバと呼ぶ島から来た。日本本土とは食文化も違えば、サッカーの根付き方も違う。そんな島で、ヨハン・クライフになってみませんか」
考えに考え抜いた渾身の口説き文句。トルシエはしばし考え込んだあと、笑顔で右手を差し出してきた。琉球をはるかに上回る条件で複数のJ1クラブが交渉に参加していたことは、あとから知らされた。
トルシエが出してきたのは、監督という立場ではなく、より上の立場からチームを統括する総監督で、という条件だった。監督も、助っ人外国人もすべて自分の裁量で選ぶ。それでも構わなければ、ということだったが、こちらとしては十分に呑める条件だった。かくして、無事交渉は成立した。
この時点でわたしたちがイメージしていたのは、GMにも近いポジションだった。
だが、いざ沖縄に入り、チーム作りが始まると、血が騒いだのか、彼は自分が連れてきた監督を脇においてガンガンと現場に関わるようになった。
迎えた宮崎での強化合宿。琉球は九州リーグのチームと練習試合をすることになった。こちらには元フランス20歳以下代表選手がいて、GKに至っては後にアルジェリア代表としてW杯に出場するライス・エンボリである。当然、試合前の想定としては大差をつけての圧勝で、その後、スタッフを含めたチーム全員で豪華な懇親会を開く算段となっていた。
だが、琉球は負けた。
総監督は怒り狂った。日本代表監督時代のイメージそのままに、顔を真っ赤にして激しい言葉をまき散らし、あたりにあったペットボトルを蹴りあげた。挙げ句の果てが「こんなんで懇親会なんかやってられるか、全部キャンセルだ!」である。
お店を予約していたスタッフには気の毒だったが、総監督がそういう以上は仕方がない。宮崎牛を食べさせる焼き肉屋さんにキャンセルの電話を入れてもらい、選手たちはホテルでいつもの通りに食事をすることとなった。当然、わたしたちも外出の予定を取りやめた。
ところが、である。本来であれば出かける予定だった時間になると、トルシエがひょっこり榊原さんの部屋にやってきた。
「どうしたんだ? 今日は宮崎牛じゃなかったのか?」
はあ?
小一時間前の大爆発がウソのように上機嫌のトルシエは、唖然とするわたしたちに言った。
「さっき選手の前で怒ったのは、そうしなければ、選手たちが敗北を当たり前のように受け入れる集団になってしまうと思ったからだ。新しい琉球は、新しい総監督は、簡単に負けを受け入れない。そう肝に命じさせる必要があったからね」
かくしてスタッフは先のお店にもう一度連絡するハメとなり、予約はキャンセルではなく縮小だということになった。素晴らしく美味しい宮崎牛に舌鼓をうちながらトルシエの言ったセリフがこうだった。
「監督というのはね、アクターの才能が必要なんだ」
これで学んだ。監督の行動や発言を鵜呑みにしてはいけないということを学んだ。彼らの発言や行動には、どれほど理解不能に見えても、彼らなりの理由が必ずある。
話が長くなってしまった。というわけで、わたしは、新庄剛志監督もある種のアクターだと思っている。日本ハムの監督に就任直後、「優勝なんか全然目指しません」といったのも、彼なりの計算があったはずだと思っている。なんなら、「これで選手が発奮して、ひょっとしたら優勝争いに加わるかも」なんて期待も含まれていたはずだと思っている。常にファンを楽しませようとするあたり、アクターとして、エンターテイナーとしての才能はトルシエよりも上かもしれない。
スポーツ同様、ごく少数の限られた天才をのぞくと、アクターとは、徹底した考察と緻密な計算によって成り立つ職業である。

どれだけのことが計算どおりに進み、またどれだけの計算違いがあったかはわからない。ただ、監督ではなく“ビッグボス”としてファイターズの指揮を執ることとなり、いつのまにか「監督」と呼ばれるようになった新庄剛志は、きっちりとチームに右肩上がりのラインを描かせてきた。
就任1年目の最下位にしても、2年目、3年目と確実に勝利の数は増えていった。どうやら2年連続の2位でフィニッシュしそうな今シーズンにしても、昨年はソフトバンクとの差が13.5ゲームをあったことを考えれば、間違いなく差を詰めてきている。
なにより強く感じられるのは、ファイターズの選手たち、そして誰あらぬ新庄監督自身が、悲壮感とは無縁の野球をやっている、ということである。ともすれば野球、あるいはスポーツに「道」を求めたがりがちなこの国において、試合開始直前の監督室から、監督自身がファンのサイトにひょっこり顔を出したりもするファイターズの現状は、圧倒的に異質というしかない。
新庄剛志でなければ、ファイターズのいまはない。それは、多くのファンが納得されることと思う。ただ、ファイターズでなければ、北海道でなければ、新庄剛志のいまもない、とわたしは思う。
彼は阪神で育ち、いまも阪神ファンから愛されている。だが、仮に彼が阪神の監督に就任し、「優勝なんか目指しません」などと口にしてしまったら、その瞬間から、多くの在阪メディア、ファンは敵に回っていたことだろう。いつ果てるともしれない90年代の暗黒時代でさえ、多くの阪神ファンは「野村克也がきてくれたからには優勝や」と考えた。チームの体質を劇的に変えた金本知憲は、たった一度の最下位で更迭に追い込まれた。
優勝を目指さない?就任以来2年連続最下位?阪神ファンが許すはずもない。
だが、北海道のファンは許した。もちろん、「こんな監督ではダメだ」と解任を望むファンもいなかったわけではないだろうが、阪神を取り巻く周辺のように、ヒステリックに責任を追求するムーブメントは起こらなかった。

これはあくまでも推測なのだが、新庄監督は、そこまで読んでいた気がする。就任前に期待値、ハードルをガクンと下げておいたのも効いた。
自らもプレーし、阪神とはまるで違うファイターズ・ファンの気質まで把握していたからこそ、そして北海道特有のおおらかさを熟知していたからこそ、彼は監督という仕事が持つ既存のイメージから自由でいられたのではないか。
今季のファイターズの選手の年俸平均は、パ・リーグの中では5位に当たる4062万円ということになっている。約7000万円のソフトバンクとの差は歴然なのだが、驚くべきは、新庄剛志が監督に就任したシーズンの平均年俸は、12球団最下位の2817万円だった。選手たちからすれば、新庄剛志は4年間でチーム平均年俸を1200万円も年俸を引き上げてくれた監督、ということになる。
チーム内の空気が悪かろうはずもない。
リーグも最終盤にさしかかり、優勝争いはさすがにソフトバンクが抜け出した感がある。だが、ファイターズからすれば、昨年あった13.5ゲーム差を大幅に縮めたうえでの2位ということで、クライマックス・シリーズで一泡吹かせてやろうという雰囲気は、昨年以上に盛り上がっていることだろう。
対戦相手からすれば、不気味なことこのうえない。
というわけで、阪神が日本シリーズに進出するという前提に立つわたしは、札幌と博多、どちらの航空券とホテルを抑えようか、頭を悩ませているところである。
【文章】金子達仁
【写真】タケダユタカ