出版業界に飛び込んで、かれこれ40年近くになる。これだけ長くこの世界にいると、いただく依頼の大半はある程度想像の範囲内に収まる。だが、ごくたまに、こちらの予想を完全に裏切る類の話が舞い込んでくることがある。
若い頃に何度か仕事をした編集者から、実に20数年ぶりに電話がかかってきたのは、ちょうど去年の今ごろだった。
「『28年目のハーフタイム』をオーディオブックにしたいという依頼が入っているんですけど……」
そう聞いた瞬間の率直な感想は、「は?」である。
オーディオブックが何かぐらいは知っている。活字をプロのナレーターが音声化するサービスが広がっていることも、さすがに承知している。問題はそこではない。
『28年目のハーフタイム』は、1997年に文藝春秋から出した、わたしにとって最初の単行本だ。つまり、その電話を受けた時点で28年前の本である。
いま読み返す勇気はない。青臭いし、何より拙い。買ってくださった方には申し訳ないが、若気の至りというほかない一冊だ。そんな本を、なぜ今さらオーディオブック化するのか。
そう思っていたら、編集者がこう続けた。
「それが、菊池雄星さんのお気に入りらしいんです」
ここで、頭の中の「は?」は一段階増えた。なぜ菊池雄星が。なぜメジャーリーガーが。しかも、なぜ大昔のサッカー本が。
聞けば、活字を音声化する会社が菊池と契約しており、彼が個人的に気に入っている本を何冊か音声化したい、そのうちの一冊が拙著だという。
もちろん、なお半信半疑ではあった。
彼はいつ読んだのだろうか。本当に読んだのだろうか。読んだとして、いったいどこを気に入ったのだろうか。編集者にそこまでわかるはずもない。ひょっとすると、許諾を取るための景気のいいセールストークかもしれない、とさえ思った。
とはいえ、こちらにとって悪い話ではない。結局、わたしは音声化を了承した。すると数カ月後、その会社のホームページには、めでたく「菊池雄星おすすめの一冊」として『28年目のハーフタイム』が載っていた。
それまでのわたしは、菊池雄星という投手に、さほど強い関心を持っていたわけではない。高校時代の圧倒的な存在感は覚えているし、彼の登場がなければ大谷翔平の野球人生もまた違ったものになっていたかもしれない、と考えたことはある。だが、プロ入り後の彼は、阪神ファンのわたしにとってほとんど接点のない存在だった。西武の投手であり、のちにメジャーへ渡った選手――認識としては、その程度だった。
だが、話が本当かどうかはさておき、公の場で自分の本を愛読書のように扱ってくれているとなれば、こちらの受け取り方も変わってくる。
なんというか、少し親近感が湧いてしまったのである。

ご存じの通り、今回のWBCで菊池雄星は初めて日本代表に選ばれた。34歳にして初めて袖を通した侍ジャパンのユニフォーム。これが最後になるかもしれない日の丸でもある。燃えないはずがない。意気込まないはずがない。自分のために、チームのために、持てる力のすべてを注ぎ込みたいと思ったはずだ。
だが、その高ぶりは、東京ラウンド第2戦の立ち上がりでいきなり揺らぐことになった。
相手は韓国。歴史的にも実力的にも、もっとも警戒を要する相手に、井端監督は山本ではなく菊池をぶつけた。経験豊富な左腕なら、韓国打線をうまくかわしてくれる――そんな期待があったのだろうし、菊池自身もその信頼を強く受け止めていたはずである。
しかし、試合はその思惑通りには進まなかった。
初回、先頭のキム・ドヨンにレフト前へ運ばれると、続く打者たちにもファストボールを捉えられた。菊池の出来がどうこうというより、韓国側が狙い球を絞り、ある種割り切ったスイングをしてきたように見えた。とはいえ、投げる菊池にとっても、リードする捕手にとっても、頭が真っ白になるような立ち上がりだったのではないか。二人にとって、これが初めてのWBCだったのである。
結局、菊池は初回を凌ぎきれず3失点。3イニングでマウンドを降りた。味方の反撃もあって敗戦投手こそ免れたが、代表初登板が満足のいく内容でなかったことは間違いない。
それでも、この時点ではまだ取り返す道が残されていた。決勝トーナメントに進み、さらに勝ち上がれば、もう一度登板機会は巡ってくる。おそらく菊池も、その可能性に望みをつないでいたはずだ。
だが、リベンジの機会は訪れなかった。
高校野球と違って、プロの野球では敗北もまた日常である。どれほど痛い負けであっても、選手は頭を切り替え、次の試合へ向かう。菊池もまた、WBCという非日常から、メジャーという日常へ戻るスイッチを入れたはずだった。それでもなお、あの初陣が心に残さなかったはずはない。
それでも、26年4月16日現在、菊池の成績は芳しいものではない。4試合に投げて0勝2敗、防御率7.50。立場の弱い投手であれば、マイナー降格がちらついてもおかしくない数字である。
消化不良に終わったWBCが、現在の菊池にどのような影響を及ぼしているのかは、本人にしかわからない。ただ、相当な意気込みを持って臨んだ大会がああいう形で終わってしまえば、気分よくシーズン開幕を迎えるのが簡単でないことぐらいは想像がつく。
もちろん、ここから状態を上げてくる可能性は十分にある。というより、そうであってほしいと願っている。
前回のWBCは優勝という結果もあり、メディアでも感動的なエピソードや前向きな話題が数多く取り上げられた。もちろん、それだけ語るに値する偉業だったことに異論はない。だが今回については、日本が敗れた途端に大会そのものの熱がすっと引いてしまったようにも見えた。そのことに、わたしは少し寂しさを覚えた。自分自身もまた、そのメディアの一端にいる人間ではあるのだけれど。
親近感を抱くようになったからか、わたしは菊池雄星という投手を、実力や実績のわりに十分な注目を集めきれていない選手だと感じるようになっていた。時代や巡り合わせが違っていれば、日本を象徴するスターとして語られていても不思議ではないのに、その勝敗が大きな話題になる機会は思いのほか少ない。
WBCでの活躍は、そんな空気を変えるきっかけになるのではないか。本人がそれを望んでいるかはともかく、ファンやメディアがあらためてエンゼルス、そして菊池に目を向ける日が来るのではないか。そんなことを思っていた。
だが、4月14日の敵地ヤンキース戦で、菊池は3回1/3を投げて4失点で降板した。にもかかわらず、その内容や本人の言葉を丁寧に伝える記事を、わたしはまだ見つけられずにいる。それが、いまの菊池雄星の立ち位置なのだとしたら、やはり少し寂しい。
【文章】金子達仁
【写真】タケダユタカ