J1最多出場記録を持ち、4度のワールドカップメンバーに選出され、リーグ制覇を果たしたシーズンではGK(ゴールキーパー)として初のMVPにも輝いた。昨シーズンで現役を引退し、新たなスタートが始まろうとしている楢﨑正剛氏に、現役時代を支えたプーマスパイクの拘りやGKとしての進化の過程、日本人GKの未来像など、単独インタビューにてその胸中を語っていただいた。 メッシならばアディダス。クリロナ、ネイマールであればナイキ。ミズノのシンボルは本田圭佑だろうか。スポーツメーカーにとって、自社製品を使用してくれるスターは、最高の広告塔でもある。 もちろん、スターたちはボランティアで広告塔を務めているわけではない。そこには多額の契約金が介在し、時には他メーカーからより好条件での引き抜きが起きることもある。最近では、日本代表の大迫がアシックスからナイキに“鞍替え”をして話題になったが、いまやアディダスの象徴とも言えるメッシも、若いころは「俺の名前はリオネル・メッシ。覚えておけ!」というナイキの印象的なCMに登場していた。 決して選手寿命が長いとは言えないスポーツ選手にとって、自分を高く評価してくれるメーカーと契約していくのは当然のことだが、中にはごく稀に、キャリアのすべてを一つのメーカーで終える選手もいる。 昨シーズン限りで現役を引退した楢﨑正剛には、そんな「ごく稀な選手の一人」という印象があった。デビューはプーマ。引退した時もプーマ。ライバルだった川口能活が所属チームと契約メーカーをたびたび替えていったのとは対照的なイメージである。 だが、イメージとは必ずしも事実を意味するものではない。
「実は1年だけ、違うメーカーのスパイクを履いてるんですよ。入団2年目の時」 奈良育英高を卒業後、いまはなき横浜フリューゲルスに入団した楢﨑は、このチームのほとんどの新人選手がそうだったように、チームが契約していたプーマのスパイクに足を通すことになった。 「ただ、高校選抜でヨーロッパに行った時の関係で、2年目だけ、パトリックのスパイクとソンディコのGKグローブを使うことになったんです」 プーマにとっては幸いなことに、1年後、日韓ワールドカップで守護神を務めることになる男は、再び特徴的な“フォームストライプ(プーマライン)”を伝統とするスパイクを履くことを望んだ。もっとも、その理由はあまり大きな声でいえたものではなかった。 「チームの先輩に原田武男さん(国見高―早稲田大)という方がいたんですが、その方が普段遣いをしていたプーマのスニーカーとかウェアが、すごくおしゃれに見えたんですよね。元々プーマは好きでしたが、なぜもう一度プーマにしたかって考えたら、やっはり原田さんの影響が大きかったかな」 確かに、プーマはジル・サンダーとのコラボ商品を開発するなど、いまでは当たり前となったスポーツメーカーとファッション業界とのリレーションシップに先鞭をつけたとも言える存在である。ただ、クライフが、ケンペスが、マラドーナが履いていたからという理由でプーマを選んだ者は珍しくなかったが、楢﨑のような理由で契約メーカーを選んだという話は、なかなか聞いたことがない。 もちろん、だからいって楢﨑がスパイクにこだわりがなかった、というわけではない。 「フィールドプレーヤーって、スパイクに軽さとかフィット感を求めるじゃないですか。ぼくはキーパーだったんで、求めるところがちょっと違ったんですよね」 90年代から00年代にかけて、ほとんどのシューズメーカーは軽量なカンガルーをアッパーに使用したモデルをトップエンドとしていた。楢﨑自身、そうしたスパイクを使用したことはある。ただ、彼が好んだのは、フィールドプレーヤーが背を向けるようなモデルだった。
「とにかくガッチリしたモデルが好きだったんです。多少重くても、というより重い方が好きだったかな。アッパーも、使い込んでしなやかになったものより、卸したてでゴツゴツしてるぐらいの方がよかった」 足に馴染んだカンガルー・アッパーは、素足に近いボールタッチの感覚が味わえるとされている。多くのフィールドプレーヤーにとって、それは素晴らしく魅力的なことなのだが、ボールを蹴るという作業に繊細さが求められるわけではないゴールキーパーたちは、また違った要素をスパイクに求めている。 「グランパスが優勝したシーズンに履いていたスパイクは、いろんな意味でぼくの理想に一番近かったっていうか、印象に残るスパイクでしたね。あれ、なんていうモデルだったかなあ。製造中止になって、使えなくなっちゃったんですけど(笑)」 スパイクに興味のある方は、ぜひ過去の映像を検索していただきたい。楢﨑正剛お気に入りのスパイクはどんなモデルか、答が見つかるはずである。 楢﨑正剛と川口能活が代表正GKの座を巡ってしのぎを削った00年代は、日本人GKがアジア最高峰の名声を欲しいままにした時代でもあった。もちろんいくつかの例外はあったものの、Jリーグのほとんどのクラブは、守護神の地位を日本人選手に委ねていた。 だが、かつては圧倒的に少数派だった外国人GKは、まもなく過半数を超えようとする勢いで増殖を続けている。中でも存在感を増しているのは、隣国・韓国のGKである。 「外国人GKが増えたっていうのは、見方を変えると、キーパーっていうポジションを重視するクラブが増えてきたってことだと思うんです。だから、そこはあんまり悪いことだとは思ってません。ただ、てっとり早い解決策として外国人に頼るのは、今後のことを考えてどうかなっていう気もしてます」 GKというポジションに天才は存在しない。マラドーナのように15歳でデビューし、17歳で代表に招集されるといったことはかつてもいまもありえない。もちろん、超一流となるためにはある種の才能や肉体的資質も求められるが、何より大切なのはうんざりするほどの反復練習と経験の蓄積である。 つまり、GKを育てるのには時間がかかる。 「ぼく自身、若いころはいっぱいミスをしてました。首脳陣からすると、あの時点でのぼくを使うっていうのは、間違いなく我慢だったと思います」 楢﨑にとって幸運だったのは、彼が最初に所属した横浜フリューゲルスというチームが、当時のヴェルディやマリノスとは違い、優勝を義務づけられた立場ではなかったということである。サッカーというスポーツが日本社会にいまほど染みてなかったこともあり、一つのミス、一つの敗戦に噛みつくメディアやファンは、いわゆる名門チームほどには多くなかった。 だが、発足から四半世紀が経過したJリーグと、その間に経験した6度のワールドカップにより、サッカーは多くの日本人にとって以前よりは身近なものとなった。さらにSNSの爆発的な普及により、ファン一人ひとりが声を上げることが可能となり、たとえ無名の人間が発した情報、オピニオンであっても、インパクトがあれば瞬く間に拡散する時代にもなった。 日本社会は、以前よりもGKを育てにくい環境になっているのである。 だが、韓国人GKに牛耳られつつあるように見える日本サッカーの未来を、楢﨑は悲観していなかった。
「先日、ちょっと機会があって若い世代のGKたちが集まる講習会みたいなのを覗いてきたんです。びっくりしましたよ。みんな大きいんです。それこそ、190センチ台の選手が全然珍しくなくなってた。しかも、その大きい選手っていうのが、ぼくらの世代の大きい選手とはまるで違うんです」 大きいけれど鈍い。それが長く日本の大型GKに多く見られた欠点だった。常にメディアやファンからの注目と圧力にさらされるようになったJのクラブからすると、我慢して使う以前に我慢する気にすらなれない、といった面があったのかもしれない。大きくても俊敏な希有な存在たちは、野球やバレー、バスケットといった他競技を目指してしまうという側面もあった。 それでも、GKを育てるのには難しい環境になった日本は、反面、以前とは比べ物にならないほどGKというポジションを重視する国にもなった。子供のころに楢﨑や川口の活躍を目にした才能が、GKを志すようにもなった。 「なんのかんの言って、ぼくが一番影響受けたGKって川口能活でしたからね。やっぱり、注目度がハンパなかったですし(笑)」 しかも、楢﨑に影響を与えたという男は、たった1歳しか年齢の違わない同世代である。ライバルではあっても、指針というのとはまた少し違っていただろう。高みを目指すという意味では、楢﨑が過ごしたよりもはるかに恵まれ環境が生まれつつあるとは言えまいか。 「ぼく自身、サッカーに育ててもらった人間なので、これからは恩返しをしていきたいって気持ちが強いですね。じゃあ自分にできる恩返しは何か。まずは教えること、伝えることだと思うんです。だからいずれは、そういう方向でやっていきたいですね」 Jリーグ660試合に出場し、4度のワールドカップでメンバーとして招集された彼の経験は、間違いなく若いGKにとって最高の教科書となることだろう。実際、日本代表で活躍する川島永嗣も、グランパス時代、楢﨑の背中を追いかけていた選手である。 「忘れられないセーブとかって、あんまりないんですよね。ほら、ぼくって大舞台で活躍したことがあんまりないんで(笑)。あ、でもJリーグでなら一つあるかな。いつだったか、瑞穂でのガンバ戦。宇佐美のシュートが闘莉王に当たって目の前でコースが変わったんですけど、瞬間的にパッと手が反応したんです。そしたらボールがバーに当たって、どこに行くのかと思ったら自分のところに落ちてきた。あれはちょっと、自分でも信じられなかったかな(笑)」 初めて迎える“元サッカー選手”としての年末年始は、家族とゆっくり過ごしたという。 「今のところは新しい生活リズムを楽しんでます。末っ子の雛祭り発表会とかに参加できたのが嬉しくて。現役の時はなかなかできなかったですから(笑)」 しばらくはフリーとしての立場を楽しみ、できれば海外の試合なども観に行ってみたいという。 だが、近い将来、彼は帰ってくる。サッカーの現場に、帰ってくる。 「ちょっと身体のあちこちがユルみ始めてるんで、それが心配なんですけどね」 真っ白いプーマのスニーカーを履いた楢﨑正剛は、そう言って笑った。
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