初めてドノスティアを訪れたとき、「ここは本当にスペインなのか」と強烈に思った記憶がある。
当時、わたしが住んでいたのはバルセロナだった。にぎやかで、海があって、食が豊かで、よくも悪くもスペインらしい、活気にあふれた街だった。カタルーニャ人に言わせれば、「いやいや、マドリードやバレンシアとは全然違う」とへそを曲げるかもしれないし、それは一面事実でもあるのだが、それでも、わたしがイメージしたスペインという国の範疇にはバルセロナはあった。
ドノスティアは違った。海はある。食の豊かさに関しては、ミシュラン・ガイドの星を持つレストランの数によって証明されている。つまり、抜群に美味い。ただ、マドリードともバルセロナとも決定的に違っていた点がいくつかあって、その一つは、治安の良さだった。
路上に停まっているクルマを見れば一目瞭然だった。ハンドルロックが、ついていない。スペインのその他の地域、いや、ヨーロッパのほぼ全土で常識となりつつあった盗難防止のハンドルロックが、ドノスティアのクルマにはほとんどついていなかった。この地域の治安が日本とほぼ変わらないレベルにあることを証明する光景だった。
だが、何よりも違っていたのは、日本人にとっての居心地のよさだった。
バルセロナでアパートを探す際、当時一番困ったのは物件紹介の最後につけられている断り書きだった、簡単に言ってしまえば東洋人お断り。いまはどうだかわからないが、四半世紀前のバルセロナでは、私の個人的な感覚ではあるが紹介されている物件の半数以上、ひょっとすると8割ぐらいの割合で、この断り書きが付け加えられていた。
街を歩いていて不愉快な経験をすることもあった。両手で目尻を吊り上げるお馴染みのポーズに出会ったことも一度や二度ではない。バルセロナに、スペインに人種差別が蔓延している、などといいたいわけではない。ただ、日本人であるがゆえに不愉快な思いをすることが、スペインではあった。
ドノスティアでは、そうした輩に出会うことはなかった。何年か後、新婚旅行で訪れたときもそうだった。むしろ、日本から来たというだけで全身からウェルカムな空気を醸しだしてくれるレストランやホテルがほとんどで、驚くべきことに、それはクラブを取材した時も変わらなかった。まだ陸上トラックのついていたアノエタの記者席に足を踏み入れた時、クラブ側はわざわざ「DON KANEKO」と張り紙を張った特等席を用意してくれた。
それが久保建英の暮らすドノスティア──スペイン語でいうところのサン・セバスチャンという街であり、レアル・ソシエダというクラブである。
なぜ日本人のサッカー選手はリーガ・エスパニョーラで成功できないのか。理由の一つに、スペイン人から向けられる懐疑の視線があるのでは、とわたしは思っている。
カタールW杯でずいぶんと認識は変わっただろうが、一般的なスペイン人にとって、日本ははるか極東の未開の地、でしかなかった。ブラジル人であれば「今度こそ」と見てもらえるミスも、日本人が犯せば「ほらやっぱり」になってしまう。当然、選手は不必要な重圧を感じるし、それが少しずつプレーを蝕んでいく。
だが、レアル・ソシエダを取り囲む空気に、日本人への蔑視はない。なにしろ、98年の段階で中田英寿の獲得に動いたクラブである。マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェで苦悶の時期を過ごした久保が一気に“化けた”裏には、ドノスティアという街の歴史と空気が確実に関係している、とわたしは思っている。
正直、育成に定評のあるビジャレアルでパッとしなかった時点で、久保の可能性に対するスペイン国内の期待はほぼ費えかけていた。バルセロナのカンテラ上がりの“天才”が消えていくのは、残念ながら少しも珍しいことではない。花が開くことなく消えていくプロ野球のドラフト1位が少なくないのと同じことである。
そして、ひとたび期待と注目を失った若き才能が、もう一度メインストリームに戻るのは簡単なことではない。というより、天才が消えていく可能性が20パーセントだとしたら、復活の可能性は10パーセントにも満たないかもしれない。それぐらい実現が難しいことを、レアル・ソシエダに移籍してからの久保はなし遂げつつある。
特に、23年に入ってからの彼の働きは、ただただ圧巻というしかない。もはや久保なくしてラ・レアルもないということは、日本人だけでなく、多くのドノスティアのファンも同意するところではないか。
14年前、才能豊かな左利きのフランス人がユースから昇格した。在籍は5シーズン。180試合に出場して46ゴール。約4試合につき1点の割合でゴールを量産した彼は、アトレティコ・マドリードに引き抜かれ、アタッカーとしての才能を一気に開花させる。アントワーヌ・グリーズマンである。
レアル・ソシエダでの2シーズン目を迎えた久保は、この原稿を書いている時点でリーグ戦10試合に出場し、5得点を挙げている。つまり、2試合につき1ゴール。これはアトレティコに移籍してからのグリーズマンとほぼ同じペースであり、アトレティコとレアル・ソシエダの力関係を考えれば、相当にとんでもないペースだということがお分かりいただけるだろう。
このままのペースを維持していけば、久保は、少なくともグリーズマン・レベル、もしくはそれより上のアタッカーだと認識されることになる。
グリーズマンの場合、彼をフランス史上最高の攻撃的な選手だと見る向きは少ない。歴史を振り返ればプラティニがいるし、カントナもいる。何より、同じ代表チームにはエムバペがいる。素晴らしい選手ではあるものの、フランス・サッカー史における彼の立ち位置は、ロシュトーやティガナ、パパンといった“一流の脇役”に留まる可能性が高い。
久保はどうか。アタッカーとしての引き出しの多さで言えば、20代前半のグリーズマン、あるいはレバークーゼンで3試合に1点のペースで得点を記録していたソン・フンミンよりも明らかに上、とわたしは見る。グリーズマンやソン・フンミンは年齢を重ねるに連れて点取り屋に特化していったが、久保には依然として背番号10的な能力も伸ばし続けているからだ。彼のアシスト能力の高さは、日本代表の試合を見ればよくわかる。
ドイツの“キッカー”誌の名物企画に、ブンデスリーガでプレーする全選手の格付けというものがある。最高級は「ワールドクラス」、以下「国際クラス」、「国内トップクラス」……といった具合で、全選手をカテゴライズしている。ワールドクラスに選ばれるのはリーグでも数人いるかいないかで、ブンデスリーガ、あるいはドイツ代表が低迷していた時期は、該当者なしで発表されることもあった。
ちなみに、ワールドクラスに選ばれるのは、それこそバロンドールを獲るか獲らないかといったレベルの選手で、たとえばグリーズマン、ソン・フンミンあたりであれば、間違いなく国際クラスではあるものの、ワールドクラスとしては物足りない、といった評価を受けるのではないか。
レアル・ソシエダでの久保は、国際クラスであることを誰からも疑われない地位を確立しつつある。あとは、ここからどれだけ登って行けるか。
とんでもない挑戦が始まりつつあることだけは、間違いない。
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