08年、知人のカメラマンに誘われてガーナで行なわれたアフリカ・ネーションズカップを観に行ったことがある。
大会の運営や治安、食事など、良くも悪くもスリル満点の取材だったが、強烈に覚えているのは、大会自体の熱量の凄まじさだった。
首都アクラで行なわれた地元ガーナとナイジェリアの準々決勝。猛烈な消耗戦の末、ガーナが2-1で勝利を収めたのだが、試合が終わると、激怒したナイジェリアのファンがスタジアムの椅子を壊して周囲に放り投げ始めた。当然、圧倒的多数を占めるガーナのファンを黙ってはいない。記者席のすぐ目の前で、はっきりと流血がわかるほどの大乱闘が勃発してしまった。
欧州選手権は何回も取材したことがあるし、コパ・アメリカ、北中米の王者を決めるゴールドカップも足を運んだことはある。ただ、こうした地域大会で身の危険を感じたことは、イングランドのフーリガンが一掃されて以降、一度もなかった。もちろん、それぞれに熱狂的ではあるものの、ファンの興奮も選手の熱意も、W杯予選に比べれば幾分抑制が効いている、というのが率直な印象だった。
この時期、アフリカの選手が多くプレーするプレミア・リーグのクラブからは、アフリカ・ネーションズカップに対する不満がよく聞かれた。なぜシーズン真っ只中の1月中旬に、主力選手を貸し出さなければならないのか、というものである。
だが、ドログバやエッシェン、アデバヨールといったスター選手たちは、断固として大会に出場しようとする意志を曲げなかった。この大会は、アフリカの選手にとって特別なものであり、不参加など考えられない、というのが彼らの言い分だった。
日本人にとってのアジアカップを判断の物差しにしていた当時のわたしは、正直、大会にかける彼らの思いを理解しきれない部分があった。W杯予選には馳せ参じた中田英寿も、アジアカップへの参加は見送っている。そして、その判断を当然のことだとわたしは受け止めていた。
54年にわずか4カ国の参加で始まったアフリカ・ネーションズカップは、基本的に2年に一度の周期で開催されてきたこともあり、ここまで34回の開催を重ねている。まだアフリカのサッカーが世界の一線級から大きく遅れをとっていた時代、この大会はアフリカの人々にとっての「自分たちの世界におけるナンバーワン決定戦」だった。東南アジアサッカー選手権(旧スズキカップ・現三菱電機カップ)に熱狂するASEANの人々であれば、その気持ちがよく理解できるかもしれない。
ただ、明治維新以降、アジアを飛び越えて世界を目指し、かつ多くの分野で目標を達成した日本人にとっては、令和の時代となったいまも、アジアカップはW杯ほどには必死になれない、燃えられない大会であり続けている。そして、そうした認識が、今大会の日本における評価を厳しいものにしている。
アジアで手こずるなんて、と。
確かに、少し前までのアジアカップは、反日運動で燃え上がった中国での開催を除き、基本的には牧歌的な空気を色濃く残した大会だった。会場のほとんどは陸上トラックのついた小規模なスタジアムで、開催国の試合を除くと、スタンドはガラガラの状態だった。これでは、日本人ならずとも大会に熱狂するのは難しい。
だが、時代は変わりつつある。今大会では、開催地がW杯を開催したカタールということもあり、選手たちは最新鋭のスタジアムを戦いの舞台とし、スタンドには決して少なくない数の観客が足を運んでいる。日本が苦杯を喫したイラク戦、わたしが一番驚いたのは彼らのサッカーではなく、中立地であることが信じられないほどのアウェー感を生み出していたスタンドだった。
インドネシアにも驚かされた。いや、日本戦での彼らからは正直何も感じなかったが、決勝トーナメント1回戦でのオーストラリア戦には、大げさではなく、驚愕させられた。結果的に0-4で敗れはしたものの、序盤から主導権を握ったのも、より多くの決定機を創り出したのも、日本戦では何もできなかったインドネシアだったからである。
どうやら、彼らにとっては衝撃的だったらしい日本の激しいプレッシングを経験したことで、オーソドックスなサッカーをやってくるオーストラリアは相当に与しやすい相手に感じられたらしい。さらに、曲がりなりにも日本から1点を奪った自信が、局面での積極的な仕掛けを生んでいた。ちょっとした運に恵まれていれば、番狂わせも十分に起こりうる展開と内容だった。
自信とは、かくも短期間で、かくも大きくチームを変えるものらしい。
中東のメディアを見ていて興味深かったのは、イラクを始めとする多くのアラブ諸国の関係者から、モロッコについての言及があったことだった。要約すると、こんな感じになる。
カタールW杯でモロッコがベスト4に入った。だから、我々もやれる──。
カテゴリーとしてはアジアとアフリカに別れているが、民族的、宗教的に見た場合、いわゆる中東と北アフリカには共通項が非常に多い。日本人の感覚にたとえるなら、高校野球で仙台のチームが勝った。だから俺たちも……と東北の他の地域が力を得る、といった感じだろうか。
しかも、カタールW杯が始まる直前、ヨーロッパや南米の多くの国が、この地域で事前キャンプを張った。結果として、中東の多くの国々が、それまでは相手にもしてもらえなかった列強のスパーリング・パートナーを仰せつかることになった。
21世紀に入ってからというもの、日本と戦う中東の国々の多くは、戦う以前から日本に呑まれていたフシがある。クオリティでは到底かなわない。だからガチガチに守って一発にかける。そんなサッカーがほとんどだった。
だが、世界の強豪の実力を肌で感じたことで、また、アラブ圏の国々にとっては“兄弟国”ともいうべきモロッコがW杯で結果を残したことで、彼らの内部に巣くっていた日本に対するコンプレックスは、かなり払拭されたのかもしれない。そして、自分たちでもやれるという自信が、国は違えどアラブの国が日本と戦う際にスタンドの後押しとなって現れているのではないか。
つまり、わたしたち日本人が気付かぬうちに、アジアカップは以前とは比べ物にならないほど難易度の高い大会に変質しているのではないか。それが、1次リーグが終わった時点での、率直な感想である。
以前にも書いたが、スポーツは、サッカーは、持っている先入観によって見え方がまるで違ってくる。アジアカップをこれまでのように勝って当たり前という前提に立って見れば、1次リーグ3試合で5失点を喫し、イラクに黒星をつけられてしまった日本代表の現況は、なるほど、まったくもって物足りないものに映る。
だが、この大会がアフリカ・ネーションズカップに近づく形での変貌を遂げ、出場国のモチベーションやレベルが向上しているのはもちろんのこと、日本と戦うにあたってはなお特別な思いでぶつかってきているという前提に立てば?
100年前、世界を牛耳っていた欧米の人間にとって、アジアで警戒すべき唯一の国は日本だった。そして、軍事的に、経済的に、自分たちがアジアで抜きんでた存在であることは、日本人自身も自覚し、アジアの他の国々も認めざるを得なかった。
そんな日本がサッカーに本腰を入れるようになったのは、20世紀も最終盤に入ってからのこと。56年に始まり、4年に一度のペースで開催されてきたアジアカップは、アジア最大にして唯一だった経済大国を実質的には抜きにして運営されてきた。これでは、アメリカが無関心だった時代のゴールドカップ同様、大会が盛り上がるはずもない。
だが、いまや日本は世界が無視できないフットボール・カントリーとなり、一方で、アジアの多くの国々が経済力を向上させ、以前に比べれば対等に近い関係を日本との間に築き始めている。本気の日本に挑み、倒すという図式は、アジアの多くの国々にとって、素晴らしく魅力的なシナリオに感じられるはずだ。
いま、コートジボアールではアフリカ・ネーションズカップが行なわれている。現時点で比較すれば、様々な面でアジアカップはアフリカの後塵を拝していると認めざるを得ない。
だが、ごくごく最近に至るまで、アジアカップは欧米のメディアや関係者からほとんど黙殺された存在だった。いま、リバプールやサンセバスチャンでは、日本が早く負ければ遠藤が、久保が帰ってくるといった報道やネットの声が散見されるが、以前であれば考えられないことと言っていい。
つまり、アジアカップは確実に世界に認知されつつある。大会前にどこが勝つのかある程度予想できてしまう大会ではなく、日本であっても出来が悪ければ足をすくわれるレベルの大会になりつつある。
では、日本は弱いのか。優位性は失われたのか。
わたしは、そうは思わない。
タイ。ヨルダン。インドネシア。日本にこてんぱんにやられた国は、明らかにその後の対戦相手に対し、与しやすさを感じている。「日本に比べれば……」という物差しが、彼らの戦いに自信をもたらしている。
大会はまだ半ば、この先何が起こるかはまったくわからない。ただ、どんな結果に終わろうとも、依然として日本の実力がアジアの中で飛び抜けていることに関して、わたしの中に疑念はない。
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