大会前は「本大会出場は難しいのでは」との見方もあったサッカーの五輪代表が、見事パリ行きの切符を勝ち取った。
太平洋戦争の敗北後、日本の世論は「敵視していた米英」から一気に親米・従米に変わった。このように、日本では一度の失敗で極端に変わることがある。例えば、ロシアやドイツに侵略されても自尊心を保つフランスと比べると、これは単に国民性の違いだろう。
敵地でドイツに勝ったことで、1年を通じて1敗しかしなかったことで、昨年、日本のサッカー界は、史上もっとも高いレベルにまで伸びた。世界の列強に対する恐れはほぼほぼ姿を消し、アジアに至ってはもはや敵なし、との雰囲気も生まれた。いや、何を隠そう、わたし自身のなかにもそうした気持ちはあった。
それだけに、アジアカップの敗北がもたらした衝撃は大きかった。天狗の鼻は、長ければ長いほど折れたときの痛みも激しい。A代表がアジアの頂点に立てなかったことで、五輪代表の未来を悲観する声まで噴出した。日本人は、やっぱり極端から極端に振れた。
日本での期待値が急降下した一方で、第三者、あるいは対戦する側から見た日本は、依然としてパリ行きの大本命ではあり続けた。10人での戦いを余儀なくされた中国戦を除き、ほとんどの時間帯で日本が主導権を握っていたことを考えれば、本命視した人たちの見方は正しかったともいえる。
もちろん、見方を変えれば、悲観的な見方をされたことで、実際に戦う選手たちが用心深くなった、という効果はあったのかもしれない。A代表がアジアカップを制し、国全体がイケイケドンドンな感じで最終予選に臨んでいたら、苦しい時間帯が訪れただけでチームにパニックが起きていた可能性もある。ポテンシャルの優位性を保ったまま、精神的に慎重さを維持し続けたことが、無事に目標を達成できた要因だったと見ることもできる。
ただ、優勝という結果はともかく、個人的には残念な思いが募る最終予選ではあった。
大会のMVPは誰か。AFCが選んだのは藤田だった。おそらく、多くの人がこの選考には賛成するだろう。へそ曲がりの人であれば、要所要所で素晴らしいセーブを見せたGK小久保の名をあげるかもしれない。
もしそこで、誰かが「松木玖生」と言ったとしたら?少なくとも、わたしには賛同できない。そして、それが「残念な思い」の理由だった。
藤田が、あるいは小久保が、素晴らしい才能の持ち主であり、かつ今大会での働きぶりが見事だったのは言うまでもない。だが、わたしが一番期待していたのは松木だった。ここで、一気にヨーロッパのクラブが争奪戦を繰り広げるようなプレーを見せてくれることを期待していた。
苦しみぬいた中国戦の決勝点を奪ったのは松木だった。出場した他の試合でも、出来が悪かったとの印象はほとんどない。1試合ごとにメンバーを入れ替えるチームのやり方が、彼から活躍の機会を奪った──少なくとも減じさせた部分は間違いなくあっただろう。
だが、それでもやってくれる、印象に残る働きをしてくれるのが特別な選手だとわたしは思っていて、松木にはそれができるとも思っていた……というか、いる。タイプは違えど、久保建英と同じぐらいの期待を寄せている。
もし久保が予選に参加していて、今大会での松木と同程度の結果、数字しか残せなかったとしたら?本人は大不満だろうし、メディアやファンからも確実に厳しい声を浴びせられている。というわけで、松木の印象的な働きが少なかったことに不満を覚え、彼に対する不満の声が聞こえてこないことにも不満を感じてしまうわたしである。
なぜそこまで松木に期待をするのか。理由は簡単で、彼は高校時代から、世界でやっていくことを意識しているように感じられたからである。
これ、できるようでなかなかできることではない。
後に日本代表になるような素材であっても、ほとんどの選手はそれぞれのカテゴリーを勝ち抜いていくのが精一杯、というサッカー人生を送っている。中学校受験をしている段階で、どこの大学に行き、どんなことを学ぼうかと考えている人間が少数派であるのと、まったく同じ話である。
だが、何年かあるいは何十年かに一度、いま属しているカテゴリーよりはるかに上のレベルをリアルにイメージし、そこに適応するための対策を立て始めてしまう選手がいる。わたしの場合、初めて出会ったそうした選手が中田英寿で、彼は18歳のころから当たり負けしない身体作りをし、シュート練習ではあえてポストやバーの内側を狙ったり、GKのタイミングを外すことを心がけていた。「練習でそれができないようじゃ、試合できるわけないでしょ」というのが、彼の言い分だった。
少年期をバルセロナで過ごした久保が、リーガ・エスパニョーラで生きていくための方策を具体的にイメージできていたのは当然として、日本で生まれ育ち、久保より2歳年下にあたる松木も、明らかに世界を視野に入れた身体づくりをしてきていた。
よくも悪くも、日本の場合はある一定のレベルを超えたテクニシャンになると、周囲がフィジカルを要求しない傾向があった。マラドーナは、メッシはどんどんと肉体を改造していったが、日本の背番号10は、華奢な身体つきの選手が珍しくなかった。
それが悪い、というわけではない。中村俊輔は、香川真司は、フィジカルの弱点を補う技術を持っていた。さらに、20代に入ってからの肉体改造は、それまでできていたプレーを損なってしまう可能性もある。重くなれば遅くなるというのは、あながちイメージだけの話ではない。
だが、もし同じ技術、同じスピードを持った、しかしフィジカルには明らかな差のある2人の選手がいたとしたら、使う側はどちらを選ぶだろうか。強くないフィジカルは、致命傷ではないものの、しかし、絶対に武器ではない。スピードを、技術を損なわないならば、強いフィジカルは獲得しておいて損はない。
そのためには、10代のうちから取り組む必要があると久保は考えたのだろうし、同じ発想は松木からも感じられた。彼ほどの技術があればフィジカルなどは手をつけなくても、高校サッカーというカテゴリーでは十分に無双できていたはずなのに、カテゴリーに甘んじる気配は微塵もなかった。
もちろん、今後海外に行けば日本にいたときには味わえなかった様々な試練が待ち受けているだろう。それでも、行ってみてから知る試練と、行くはるか前から準備して向き合う試練とではかかる負荷はまったく違ってくる。FC東京を巣立って以降、不遇の時代もあった久保が、それでも現在のレアル・ソシエダで居場所を見い出すことができたのは、彼がリーガでプレーするために準備をし、そこで通用することを微塵も疑っていなかったからに他ならない。
というわけで、最終予選での働きぶりには注文をつけたくなってしまう松木だが、来るべきパリの本大会では、持てるポテンシャルのすべてを発揮してくれることを期待する。折しも、久保の五輪不参加の一報も伝わってきた。松木にかかる期待はいよいよ大きい。
68年メキシコ大会の釜本邦茂以来、五輪で得点王をとった日本人選手はいない。松木は必ずしも点取り屋ではないが、攻撃の選手が己の存在を知らしめるうえでもっとも効果的なのがゴールであることもまた事実。ベルマーレではさほど得点力を発揮していなかった中田英寿が、ペルージャの初年度に2ケタ得点をあげたように、パリでゴールを量産する松木がみてみたいものである。
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