長年サッカーを見ていると、何年か、何十年かに一度、驚天動地というか、腰が抜けるほど驚かされることが起きる。
日本代表でいえば、“ドーハの悲劇”がそうだったし、4年後、中田英寿のシュートがこぼれたところ、岡野雅行がスライディングで押し込んだ『ジョホールバルの奇跡』も当てはまる。どちらのケースも、記者席にいたわたしはしばらく動けなかった。
ただ、ドーハにしてもジョホールバルにしても、凄まじい衝撃を受けたのはわたしが日本人だからであって、外国人記者たちは「ほお」ぐらいな感じで平然と業務をこなしていた。国籍を超え、本当に世界を驚愕させた試合といえば……真っ先に思い出されるのは、90年イタリアW杯の開幕戦である。
86年のメキシコW杯で、アルゼンチンは2度目の優勝を果たしていた。大黒柱のマラドーナは健在……というか、より一層凄味に磨きがかかっており、クラウディオ・カニーヒアのような新星も出現しており、この大会でも有力な優勝候補の一つにあげられていた。
しかし、90年のW杯開幕戦で、王者アルゼンチンがアフリカ代表カメルーンに0-1で敗れるという大番狂わせが起きた。決勝点はオマン・ビイクの驚異的なヘディングシュートによるもので、当時のGKプンピードは責められたが、防ぎようのない一撃だった。試合内容は荒っぽく、カメルーンはマラドーナに対するラフプレーで赤札覚悟の場面も多かったが、1人の退場にとどまった。とはいえ、印象に残ったのはその荒さではなく、ビイクのゴールの衝撃と彼の跳躍、そして所属クラブ「スタッド・ラヴァル」の名だった。
当時、フランス・リーグの評価はお世辞にも高いとはいえなかった。マルセイユやボルドーといったクラブがヨーロッパ・カップで上位に進出するようにはなっていたものの、隆盛を誇っていたセリエA、ブンデスリーガなどに比べると格下感が強く、そもそも、フランスの英雄ミシェル・プラティニがプレーしていたのはユベントスだった。観客動員を見ても、4ケタの数字、つまり1万人に満たない観衆しか集まらない試合も珍しいのが、当時のフランス・リーグだった。
そんなリーグの、しかも2部に所属している選手が、W杯の大舞台で世界を驚愕させる一撃を決めた。それは、わたしの持っていたサッカーの常識からは完全にかけ離れた出来事だった。
なぜ、お世辞にもヨーロッパのトップ・カテゴリーとはいえないレベルでプレーしていたオマン・ビイクは世界を驚かせることができたのか。いまならば、その答はわかる。
2部は2部でも、フランスだったから、である。
フランスは、ヨーロッパの中でポルトガルと並び、極めて早い段階で代表チームに黒人選手を受け入れた国だった。そうした中の一人が、“モザンビークの黒ヒョウ”と賞された66年イングランドW杯の得点王エウゼビオであり、オマン・ビイクだった。
戦術の理解度や周囲との連携という点に関して、アフリカの選手は共通する弱点を抱えていた。ただ、一方で爆発的な運動能力という強烈なアドバンテージも持っていた。フランス・リーグは、粗削りではあっても、個々を見れば傑出した能力を持つ選手がゴロゴロしていたのである。
98年のフランスW杯で優勝を遂げて以降、フランスのサッカーは変わった。目の色を変えてサッカーにのめり込むようになった。なにより、フランスでプレーする選手たちが、「我々は世界一の国でプレーしている」との自負を持つようになった。いまや、フランス・リーグをブンデスやセリエよりも一段下のリーグ、と見る人は少数派だろう。
ただ、パリ・サンジェルマンがどうしてもヨーロッパの頂点に立てないこともあり、どうしてもプレミアよりは下に見られがちなのも事実。実際、南野拓実がリバプールからASモナコに移籍した際は「都落ち」と揶揄する声も散見された。
率直にいって、リーグ全体のレベルに関していえば、フランスがイングランドに及ばないのは事実だろう。特に、上位と下位の間に存在する力の差は、リーガ・エスパニョーラの次ぐらいに大きいかもしれない。
だが、誤解していただきたくないのは、ここで言うレベルの差異とは、あくまでもチームの戦力に関してのことであって、プレーする個々の選手に関しては、まったく遜色ないどころか、ひょっとするとフランスの方が上の部分もあるとわたしは思っている。
つまり、圧倒的かつ爆発的な個人の力。
たとえばシュートの態勢に入る。飛び込んでくるDFの迫力やリーチの長さは、プレミアの洗練された守りよりも身体能力を全面に押し出してくるフランスの方が上かもしれない。
中村敬斗は、そんなリーグでゴールを量産している。4月下旬で11ゴール。これは、フランスにおける日本人初の二桁得点である。
幸か不幸か、レベルはともかくとして、リーグ自体の注目度で行くと、フランス・リーグはいわゆる“5大リーグ”の中でもっとも下に位置している。これは、日本に限らず、当事国を除く全世界に当てはまりそうなのだが、結果的に、対戦相手の中村に対する注目度、警戒度は比較的低めになることが予想される。
9月に対戦を予定しているメキシコのメディアは、ずいぶんと日本を高く評価しているようで、警戒すべき選手として何人かの名前をあげていたが、そこに中村の名はなかった。
1990年6月8日、オマン・ビイクを警戒していたアルゼンチン人が皆無だったように、である。
W杯で壁を破るには、突き抜けるには、対戦相手の想像を超える何かがいる。フランスでゴールを量産し、カットインからのシュートという自分の型を持つ中村は、できることならば本大会まで暴れすぎないでほしいかも、と思いつつ、結果を出さないとすぐにポジションを失うことになる今の日本代表ではそれも難しいかと、正直、複雑な思いを捨てきれないわたしである。
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