「谷間の世代」が日本サッカーを牽引。16年リオ五輪代表の「いま」

(上記写真:リオ世代の中心は遠藤航。16年当時は浦和レッズに在籍)

 

4年に1度開催される五輪。サッカーはU-23(23歳以下)世代の国際大会となっており、日本では開催都市に紐づけてロンドン世代、リオ世代、東京世代、パリ世代などと言われる。

 

近年は結果を残している。12年のロンドン、21年の東京でベスト4入りし、24年のパリでは準々決勝で優勝したスペインに敗れた。

結果だけを見ると、16年のリオは物足りない。グループステージで敗退している。

 

16年のチームは、”谷間の世代“と呼ばれた。U-20W杯出場を逃した選手たちの集まりだったからで、96年から続く五輪のアジア予選突破を危惧する声もあった。しかし、手倉森誠監督に率いられたチームは、アジア最終予選でイラン、イラク、韓国に競り勝って頂点に立った。本大会でもナイジェリア、コロンビア、スウェーデンとのグループステージで1勝1分1敗の成績を残し、惜しくもベスト8入りを逃したのだった。

 

チームの中心はキャプテンの遠藤航である。五輪開催の16年に湘南ベルマーレから浦和レッズへ移籍した彼は、18年のロシアW杯日本代表に選ばれ、同大会後に海外クラブへステップアップした。現在はイングランド・プレミアリーグの名門リバプールに所属し、日本代表でキャプテンを務めている。リオ世代のリーダーは、日本に欠かせない選手となったのだった。

 

リオ五輪代表で、唯一の海外組だったのは南野拓実である。15年1月からオーストリアのレッドブル・ザルツブルクに所属し、チャンピオンズリーグでゴールを決めるなどの結果を残していく。その後はリバプールへステップアップし、22年夏からモナコ(フランス)に在籍している。

 

リオ五輪終了直後に海外へ飛び出した選手もいる。

 

浅野拓磨だ。

 

リオ五輪で2得点を記録したストライカーは、プレミアリーグのアーセナルと契約を結び、すぐにシュツットガルト(ドイツ)へレンタルされた。ドイツ、セルビアの複数クラブを経て、現在はマジョルカ(スペイン1部)でプレーする。22年のカタールW杯には遠藤、南野とともにメンバー入りし、ドイツ戦で貴重なゴールを決めた。

 

リオ五輪でセンターバックの一角を務めた植田直通は、18年のロシアW杯日本代表に選出され、同大会終了後に鹿島アントラーズからサークル・ブリュッヘ(ベルギー1部)へ移籍した。その後ニーム(フランス1部)でもプレーし、23年から古巣の鹿島で最終ライン中央を担っている。今年7月のE-1選手権では、

およそ4年ぶりに日本代表に選出された。

 

 

植田直通は今年7月、約4年ぶりに日本代表に招集された


23年、24年とJ1リーグ連覇を成し遂げたヴィッセル神戸では、井手口陽介が存在感を発揮している。リオ五輪当時はチーム最年少の19歳(唯一の10代でもあった)で、当時からボール奪取能力は眼を見張るものがあった。五輪後は日本代表に吸い上げられ、18年のロシアW杯出場につながるゴールも決めている。

ヨーロッパの複数クラブを経て、23年に生まれ故郷でもあるアビスパ福岡の一員となった。福岡にクラブ史上初となるルヴァンカップをもたらし、24年から神戸に在籍している。

 

ストライカーの鈴木武蔵も、国内外で様々な経験を積んできた。リオ五輪には久保裕也の代表辞退により追加招集され、初戦のナイジェリア戦でゴールを決めた。Jリーグで結果を残してベルギー1部のクラブへ移籍し、現在はJ1の横浜FCでプレーする。

個性的な足跡を刻んでいるのは、GK中村航輔だ。アカデミーから在籍する柏レイソルの選手としてリオ五輪に出場し、18年のロシアW杯でもメンバー入りを果たした。21年末からはポルティモネンセ(ポルトガル)へ新天地を求め、シビアな環境で研鑽を積んできた。25年1月に所属先なしとなり、プレーするクラブを探している(8月25日現在)。

 

リオ五輪で「10番」を背負った中島翔哉も、難しい立場にある。17年にFC東京からポルティモネンセへ期限付き移籍し、10得点12アシストのスタッツを残した。日本代表には森保一監督就任後の18年9月から選出されていくが、19年2月にカタール1部のアル・ドゥハイルへ移籍したあたりから、所属先でプレータイムが減ってしまう。いくつかのクラブを経て23年7月から浦和の一員となったものの、かつての輝きを放つには至っていない。

 

海外クラブへ移籍せずに、日本国内でキャリアを構築している選手も少なくない。原川力は京都サンガでプロキャリアをスタートさせ、17年から所属したサガン鳥栖、21年から在籍したセレッソ大阪で確固たるキャリアを構築した。巧みなゲームメイクとハードワークを両立させるこのボランチは、25年から柏でプレーする。

 

矢島慎也も数多くのクラブを渡り歩いてきた。リオ五輪当時はJ2のファジアーノ岡山で背番号10を背負い、翌17年からJ1、J2のクラブで実績を積んでいく。24年にリオ五輪でコーチを務めた秋葉忠宏監督が率いる清水エスパルスに加入すると、中盤の複数ポジションをこなせるユーティリティ性を生かして貴重な戦力となった。J2優勝でJ1復帰を果たした25年も、スタメンと途中出場でチームに貢献している。

 

亀川諒史も多くのクラブでプレーしてきた。湘南ベルマーレからアビスパ福岡へ期限付き移籍中にリオ五輪に出場し、柏、V・ファーレン長崎、横浜FC、福岡を経て、25年はJ2のレノファ山口FCでプレーする。現在はケガで離脱中だが、左右両サイドに対応するユーティリティ性を備えるDFは、まだまだ衰えていない。
 

リオ五輪世代には、ワンクラブマンもいる。

 

大島僚太だ。

 

11年のプロ入りから現在まで、川崎フロンターレひと筋でプレーしている。リオ五輪では「8」を着けたが、川崎Fでは16年から「10」を背負う。ここ数年はケガに悩まされているものの、高い技術とパスセンスは誰もが評価する。ピッチ上で継続的に躍動する姿が待たれる。

 

神戸の岩波拓也は、18年から23年まで浦和に在籍し、24年からプロデビューを飾った神戸に復帰している。空中戦に強い長身センターバックは、バックアッパーの立ち位置でタレント集団を下支えする。

 

幼少期に南野と同じクラブでプレーした室屋成は、20年夏からドイツ2部のハノーファーで右サイドバックのレギュラーとして機能した。今年夏に古巣のFC東京へ復帰し、ドイツで培ったプレー強度とハードワークを披露している。

 

 

室屋成は今夏に5年ぶりにFC東京に復帰


リオ五輪代表には、年齢制限のないオーバーエイジが3人招集された。アジア予選突破後にケガ人が続出したセンターバックでは、塩谷司が抜てきされた。当時27歳の彼はセンターバックだけでなくサイドバックもできる柔軟性を評価され、リオ五輪で全試合にフル出場を果たした。36歳となった現在は、サンフレッチェ広島でDFラインの一角を担っている。

 

センターバックと同じようにケガ人が出た左サイドバックで、オーバーエイジに指名されたのが藤春廣輝だ。明るいキャラクターでチームを盛り立てたが、リオ五輪ではオウンゴールを献上するなど期待に応えられなかった。24年からJ3のFC琉球でプレーしている。

 

3人目は興梠慎三だ。最前線でボールを収めつつ、自らも鋭く相手ゴールへ迫る存在として、手倉森監督が口説き落とした。当時30歳のベテランは浅野や南野らと短期間で連携を深め、攻撃の柱として機能した。プロ20年でJ1リーグ歴代2位の168ゴールを叩き出し、24年限りでスパイクを脱いだ。

 

リオ世代の多くは、30代前半だ。いままさにキャリアの円熟期を迎えた彼らは、所属チームで独自の存在感を放っている。

 

 

【文章】戸塚啓
【写真】佐野美樹

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