背番号物語(第2回)~Jリーグの歴史を彩った「1番」を振り返る

(上記写真:楢崎正剛はGK最多タイのJリーグベストイレブンを受賞)


背番号には、物語がある。歴史がある。記録がある。記憶もある。Jリーグを彩った名手を、背番号とともに振り返っていく。

今回は「1」を取り上げる。

 

Jリーグのベストイレブンという記録に、GKで最も深く名前を刻んでいるのは楢﨑正剛だ。横浜フリューゲルス在籍2年目の1996年に初めて受賞すると、99年の名古屋グランパス移籍後も含めて通算で6度受賞している。この記録はGKでは最多タイだ。

 

その間には、2度の天皇杯優勝とJ1リーグ優勝を経験した。名古屋グランパスのJ1制覇に貢献した2010年には、GKではこれまで唯一となるリーグMVPに選出されている。

 

そのプレースタイルをひと言で表わせば、「安定感」になる。とにかくミスが少なかった。シュートストップやハイクロスの処理といったベーシックな技術に優れ、チームメイトに安心感をもたらした。

 

その楢﨑と同時期に活躍した川口能活は、「炎の守護神」、「魂の守護神」などと評された。J1リーグでは横浜F・マリノスとジュビロ磐田でプレーし、キャリアの晩年はJ2のFC岐阜、J3のSC相模原で豊富な経験をチームメイトに伝えた。

 

全盛期の彼はシュートに対する反応が際立って速く、身体の立て直しもまた速かった。並外れた集中力で神かがり的なセーブを連発し、大舞台で最高の輝きを放った。96年アトランタ五輪でのブラジル撃破、04年アジアカップ準々決勝のPK戦などは、日本サッカーの歴史に強く刻印されている。キック精度にも定評があり、ビルドアップに長けていた。

 

楢﨑、川口とともに02年日韓W杯の代表となった曽ヶ端準は、小野伸二や稲本潤一らと同じ「黄金世代」のひとりだ。23年に及んだプロキャリアのすべてを鹿島アントラーズに注ぎ、数多くのタイトル獲得に貢献した。J1リーグ通算533試合出場は、GKでは西川周作、楢﨑に次ぐ3位の数字である。

 

冷静沈着な彼はGKとしての基本技術に優れ、正確なキックやスローイングで攻撃の起点にもなった。また、的確なコーチングで守備陣を統率した。J1リーグでの無失点試合「169」は、歴代2位に食い込む。

 

では、最多の無失点試合を記録しているのは誰か。

 

西川周作である。

 

 

西川周作(浦和)は、GKのJ1最多出場記録を更新中

 

大分トリニータのアカデミーからトップチームに昇格し、U-20W杯や08年北京五輪などの国際経験を積んでいき、10年にサンフレッチェ広島へ移籍。広島では12年、13年のリーグ連覇に貢献した。14年に浦和レッズの一員となると、絶対的な守護神として君臨してきた。

 

育成年代では直接FKを任されたこともあり、キック精度は西川の優れた特徴のひとつだ。39歳となった現在も、シュートへの反応などに衰えは見られない。GKでは最多のJ1出場記録を更新中で、まさに鉄人と言っていい。Jリーグベストイレブンには、楢﨑と並んで6度選ばれている。

 

ジュビロ磐田にも鉄人がいる。川島永嗣である。

 

01年にJ2の大宮アルディージャへ加入し、04年に名古屋グランパスへ移籍する。名古屋では楢﨑の後塵を排して定位置をつかめなかったものの、日本を代表する守護神と切磋琢磨することでレベルアップにつなげた。

 

07年に川崎フロンターレへ移籍し、Jリーグで初めて背番号1を背負った。川崎Fでは3シーズン連続でJ1リーグ全試合に出場し、優勝争いを演じるチームを支えた。

 

10年の南アフリカW杯では川口、楢﨑を抑えて正GKとなる。同大会終了後にヨーロッパへ活躍の舞台を移した。

 

Jリーグ復帰は24年。J2からJ1へ昇格した磐田で背番号1を託された。チームがJ2に降格した25年も、42歳という年齢を感じさせないプレーを見せている。国際舞台で発揮してきたPKストップの強さも健在だ。

 

J1とJ2で実績を積んだGKでは、南雄太の名前もあげるべきだろう。98年から23年までにJ1で266試合、J2で400試合、合計666試合に出場している。

 

曽ヶ端と同学年の彼は、J1の柏レイソルでプロ1年目から定位置をつかみ、99年のワールドユース(現在のU-20W杯)で正GKとして準優勝に貢献した。

 

98年から09年まで在籍した柏では、背番号1だけでなく「21」も着けた。10年から13年まで在籍したJ2のロアッソ熊本、14年から21年途中まで在籍した横浜FCでは「18」を背負った。現役に幕を閉じた大宮では、「35」を着けた。背番号1の印象は薄いかもしれないが、26年に及ぶキャリアは賞賛されるべきものだ。

 

その南から、柏でポジションを奪ったのが菅野孝憲である。公称179センチのサイズはGKとしては小柄だが、シュートへの反応が抜群に速く、ハイクロスの処理も勇敢だ。柏ではJ1優勝、天皇杯制覇、リーグカップ優勝などのタイトル獲得を後押しした。

 

プロデビューを飾った横浜FCと柏では、主に「21」を着けた。16年から2シーズン在籍した京都サンガF.C.、現所属の北海道コンサドーレ札幌では「1」を背負う。J1、J2合計で640試合以上の出場を誇る41歳は、チームの精神的支柱の役割も担っている。

 

外国人GKでは、Jリーグ開幕直後にシジマールがその名を轟かせた。PK戦で両手を大きく広げることから“クモ男”の異名を取り、清水エスパルスに多くの勝利をもたらした。

 

外国人GKでJ1リーグ最多出場を誇るのは、韓国人のキム・ジンヒョンだ。09年にセレッソ大阪に加入すると、J1で400試合以上の出場数を積み上げてきた。J2も加えれば、通算出場は500試合をはるかに超える。鋭い反射神経でシュートを防ぎ、どの監督からも信頼を寄せられてきた。

 

同じ韓国人では、チョン・ソンリョンが来日10シーズン目を過ごしている。16年に川崎フロンターレ初の韓国人選手となり、J1リーグ優勝4回、天皇杯優勝2回などの成績に直結するパフォーマンスを残してきた。191センチのサイズは威圧感十分で、どっしりとした構えから身を躍らせる。攻撃側に「ゴールの隅を狙わなければ得点できない」とのプレッシャーを、与えることができている。

 

40歳となった今シーズンは、山口瑠伊にポジションを譲る格好となっている。キャリアが終盤にさしかかってきたなかで、ここから巻き返すことができるか。

 

外国人守護神では、ミッチェル・ランゲラックの足跡も濃い。

 

18年に名古屋グランパスの一員になり、すぐさま正GKに定着する。21年にはクラブ初となるルヴァンカップ制覇に貢献し、Jリーグベストイレブンに選出された。24年まで7シーズン在籍し、J1リーグ241試合出場を記録した。これは、ドラガン・ストイコビッチを抜いてクラブの外国人選手では最多である。

 

193センチのサイズを持ち、ハイクロスの処理は安定感抜群だった。それでいて、シュートへの反応も鋭い。名古屋ではキャプテンも任されるなど、監督、チームメイトから絶大な信頼を寄せられた。

 

 

ランゲラックは名古屋の外国人で最多のJ1リーグ出場を記録


25年のJ1リーグでは、前川黛也(ヴィッセル神戸)、大迫敬介(サンフレッチェ広島)、谷晃生(FC町田ゼルビア)、早川友基(鹿島アントラーズ)らが、リーグを代表する守護神として活躍している。名古屋グランパスの19歳の大型GK・ピサノアレックス幸冬堀尾も、ランゲラックの後継者として台頭してきた。

 

また、24年シーズン限りで清水エスパルスを退団した元日本代表の権田修一が、9月に神戸の一員となっている。
 

ヨーロッパで活躍している選手たちも含めて、現在の日本はGK大国となりつつある。
 

【文章】戸塚啓
【写真】佐野美樹

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