近年、箱根駅伝では外国人留学生ランナーの活躍が目覚ましい。では彼らはどのように日本へやって来るのか。そして、箱根を走った後にはどんな未来が待っているのか。
箱根駅伝100回の歴史の中で、キャプテンとしてタスキをつないだ留学生はただ一人――拓殖大学で第92~95回大会の2区を任されたデレセ・ワークナー選手だ。そのデレセを日本に招いたのが、小林渉さんである。
自身も箱根を走り、実業団で10年、さらに起業して15年。現在はスポーツ選手のマネジメントやイベント企画を手がける株式会社クロスブレイスの代表を務める小林さんに、留学生枠のルールやスカウトの舞台裏、そしてその後のキャリアについて聞いた。
■「素質よりも、人柄と努力」――デレセ選手との出会い
――クロスブレイスとして初めて関わった留学生選手、デレセ・ワークナーさんとの出会いについて教えてください。

当時、日本の留学生ランナーといえばほぼ100%がケニア人でした。ただ、世界的に見ると長距離の頂点に立っているのはケニアとエチオピア。私は、引退した元選手の紹介をきっかけにエチオピアへ行き、そこでデレセと出会いました。
彼は海外レースの経験もなく、履いている靴もボロボロ。企業が欲しがるような実績はありませんでしたが、とあるレースで光る走りを見せたんです。「日本に連れていきたい」と思わせる何かを持っていました。
――実際に日本へ来てからは、どう成長していきましたか?
最初はなかなか結果が出ませんでしたが、日本に馴染めるかどうかは1年もすれば分かるものです。実際、力はあっても日本に順応できずに帰国してしまう選手も少なくありません。
デレセは違いました。真面目で努力家、日本語も学びながらチームに溶け込みました。最終的にはキャプテンを務めるまでになり、留学生がチームリーダーになるのは非常に珍しいケースです。
拓殖大学の手厚いサポートもあり、4年間しっかり走り切った。その延長線上に、今も実業団で活躍する姿があります。エチオピア人ランナーとして、日本でキャリアを築いた最初の成功例のひとつだと思います。
■「駅伝に臨む姿勢の違い―仲間を重んじる日本人、結果を求める留学生」
――日本人選手と留学生の違いはどこにあるのでしょうか。

決定的なのはメンタル面です。日本人選手は必ずしもお金が目的ではなく、仲間とともに走る駅伝文化を重んじます。一方、留学生の多くは「お金を稼ぐ」「プロとして生きる」ことを第一の目標にしています。思考が完全にプロ志向なんです。
たとえばケニアから来る選手は、日本語を学び、駅伝で結果を残せば、そのまま実業団に進める。それを狙ってやって来ています。ただ、近年はトップクラスのケニア人はアメリカの大学を選ぶケースが増え、日本に来るのは“二軍”と呼ばれる層が多い。それでも日本人選手より少し強いので、努力して日本語を身につけ、実業団に進むという流れが一般的です。
結果として、日本人と留学生の力の差は縮まっており、今では2~3分差での勝負になることも珍しくありません。
――留学生は「1名まで」というルールについて、どのように考えていますか?
箱根駅伝は日本独自の文化です。もし制限がなければ「勝つために外国人を10人揃える」といった極端な状況になりかねず、それでは駅伝の意義が失われてしまいます。ですから、登録は2名まで、そのうち走れるのは1名だけ――というルールはとても健全だと思います。
――今後、留学生ランナーはさらに増えるのでしょうか。
急激に増えることはないと思います。すでに30~40年の歴史を経て成熟した市場ですから、大きく形が変わることはないでしょう。強豪校がどこまで外国人を受け入れるかで数は多少増減するかもしれませんが、それ以上は考えにくいです。
ただ、実業団はすでに多くのチームが留学生を採用しています。アフリカの選手にとって、日本の駅伝は今や“ジャパンドリーム”の象徴的な存在になっています。
■留学生ランナーとの出会い、そして箱根の意味
――小林さんが有望な留学生ランナーとの出会いは、どのように始まるのですか?
まずは現地からの情報収集です。ケニアでもエチオピアでも、日本に行きたい選手は本当に大勢います。ただ「行きたい」という思いだけではなく、一定のタイムや強くなりたいという意思が不可欠です。そこで、現地スタッフから候補者のリストを受け取り、その中から選手を絞り込むのが最初のステップになります。
――そこから具体的にはどう進めていくのですか?

「この選手はいい」と思えば、現地に行って実際に走りを見たり、最近では動画を撮って日本の監督に送ったりします。その上で条件を提示し、本人が納得するかどうかを交渉する流れです。
実業団など予算に余裕のあるチームでは、候補を3人ほど日本に呼んで10日ほど滞在させ、練習やレースを通じてオーディションのように見極めるケースもあります。逆に「現地で直接走らせた方が早い」と考え、エチオピアやケニアで10kmや5kmを走らせて上位選手を選抜する方法もあります。だいたいこの2つのパターンが主流ですね。
もちろん、世界的に有名なトップ選手が「日本に行きたい」と言えば、特別枠として扱われることもあります。
――留学生にとって、箱根駅伝はどういう存在なのでしょうか?
日本人にとって箱根は夢や憧れの舞台ですが、留学生にとっては“キャリアの登竜門”です。「箱根で活躍すれば実業団に入れる」「安定した収入につながる」という条件付きのレース。最初から「どうしても箱根を走りたい」と思って来日するわけではありません。
ただ、日本で4年間を過ごす中で仲間と同じ目標を追い、一緒に箱根を目指すうちに「勝ちたい」「思い出を残したい」という気持ちが芽生えていきます。出発点はキャリア志向でも、人間的な成長を経て、いつしか箱根が特別な舞台になっていくのです。
また、日本の生活環境はケニアやエチオピアとは比べものになりません。トップ選手にならなければ十分なサポートを受けられない自国に比べ、日本では食事や治療、練習環境が整い、フルサポートを受けられる。その恵まれた環境で成長し、世界大会で活躍する選手も少なくありません。
■留学生ランナーとシューズ文化の関係
――たとえば、シューズやウェアの面でも日本に来る魅力はあるのでしょうか?

そうですね。日本に来れば、シューズやウェアを提供してもらえるのも大きな魅力です。選手自身が使うだけでなく、家族に送ることもあるようです。
ただ「合わないシューズを無理に履かされる」というケースはほとんどありません。むしろケニアやエチオピアの選手が速いからこそ、メーカーが「履いてほしい」とサポートする。結果として、多くの選手が自分に合ったシューズを選べる環境が整っています。
――デレセさんをはじめ、留学生ランナーはそれぞれ違うメーカーのシューズを履いているのですか?
バラバラですね。少し前まではナイキが圧倒的に多かった時期もありましたが、今はアシックスやアディダスなど本当に多様です。海外ブランドへの憧れもありますし、強い選手ほどフルサポートを受けられるので、その流れで履くメーカーが決まることもあります。
メーカーの担当者から「いい選手はいませんか?」と相談を受けることもよくあります。箱根駅伝はテレビで全国放送される大舞台なので、各社にとっては最高の宣伝の場。だからこそ選手獲得競争は熾烈です。かつてはアシックスとミズノが中心でしたが、ナイキやアディダスが参入して一気に状況が変わり、今は各社が拮抗しています。
――アフリカの選手にとって、シューズの好みには特徴があるのでしょうか?

彼らは昔から「硬い路面=ロード」を嫌います。日本に来たばかりの選手からは必ず「芝生のある公園はないか?」と聞かれますね。とにかく体への衝撃を避けたいので、昔からクッション性の高いシューズを好んでいました。だからこそ厚底シューズが広まった時、自然にフィットしたのだと思います。
ただ、日本人選手のように「このモデルは反発が強い」「前の方が合っていた」と細かく語ることはあまりありません。彼らは「これ調子いい」「これが気に入った」と感覚的に選ぶタイプが多い。一方、日本人はとにかくシューズ談義が好きですよね(笑)。
■留学生は“助っ人”から“挑戦の相手”へ
――最後にクロスブレイスとして、今後の使命や留学生ランナーの存在意義、そして箱根駅伝全体への影響をどう考えていますか?

留学生ランナーの人数制限が設けられているのは、とても健全なことだと思います。もしルールがなければ、外国人選手ばかりになってしまうでしょう。ですが、その限られた枠の中で彼らが存在することは、日本人選手にとって大きな意味があります。日常的に世界レベルの走りに触れることで、練習の質も意識も格段に高まるからです。
かつては「助っ人外国人」としての存在が強調されがちでした。しかし今は違います。日本人選手は彼らを“倒すべき相手”として明確に意識している。その挑戦心こそが競技全体の底上げにつながっているのです。
箱根駅伝は、単なる大学対抗のレースにとどまりません。留学生ランナーの存在が、日本人選手に新たな基準を突きつけ、競技全体を進化させている。その循環を支えていくことが、私たちの使命だと考えています。
【写真】軍記ひろし
【文章】池田鉄平
【取材協力】株式会社クロスブレイス