日本サッカー界にとって、もっともエポックメイキングだった年はいつか。
まず外せないのが93年だろう。この年がなければ、間違いなくいまの日本サッカーはない。Jリーグが始まり、単なるマイナースポーツに過ぎなかったサッカーが国民的な注目を集めた年。わずか3年前、国営放送がW杯決勝の放送席に野球の国民栄誉賞受賞者を座らせるほど“サッカー音痴”だった国は、この年、ドーハという地を介して初めてW杯本大会の重みを知った。
“ジョホールバルの歓喜”があった97年、そして初のW杯本大会出場となった98年も忘れられない。熱心なサッカーファンの数自体は、いまよりも少なかったかもしれない。それでも、いわゆる“にわか”のファンも含め、ほぼ日本中がサッカーの話題で埋めつくされたのではないか、と錯覚するほどの熱気があのときはあった。
とはいえ、圧倒的多数の方にとっては、やはり2002年、日韓W杯の印象が強いのではないだろうか。それまでサッカーになど見向きもしなかった番組や媒体までが、こぞってW杯に群がったのだから無理もない。
フーリガンの襲来を危惧する特集が組まれたかと思えば、来日が遅れたカメルーン代表は最終目的地となる大分・中津江村に到着するまで、とんでもない数のメディアが密着した。サッカーの本質とは何ら関わりのないルッキズムに特化した報道も多々見られ、ベッカムがどこの国の選手でどこでプレーしているかを知らなかった層までが、彼のソフト・モヒカンに夢中になった。世界的にはほぼ無名に近かったイルハンというトルコ人選手が有名になったのも、同じ流れである。
こうやってざっと振り返ってみても、日本サッカーの歴史は、イベントを中心に動いてきたことがよくわかる。大きな出来事、大きな大会、そして初めての結果。これは日本に限ったことでも、サッカーに限ったことでもない。ほとんどの事象は、時代は、同じルールによって動かされてきた。
それだけに、25年という1年が、ちょっと特殊に感じられる。というのも、あくまで個人的な印象ではあるものの、あとになって振り返った場合、この1年は相当に大きな意味を持ってきそうな気がするからである。
3年前、同じ監督に率いられ、同じメンバーの多かった日本代表が本気でW杯で優勝できると考えていた人が、いったいどれだけいたことだろう。大会が始まる直前まで、いや、大会が始まってからも、ネット上で勢いがあったのは森保監督の監督しての力不足を指摘する声だった。
カタールでドイツ、スペインを倒し、森保監督の続投で迎えた23年は、ヴォルフスブルクでドイツを返り討ちにしたことで、W杯での逆転勝利が単なるまぐれ、奇跡でなかったことは証明された。ただ、依然として森保監督の手腕、手法に関する疑念の視線はつきまとい、サッカー日本代表のW杯優勝という目標も、半信半疑どころか、一信九疑ぐらいといったところだっただろう。日本サッカーの歴史を考えれば、W杯優勝という夢が全否定されなくなったこと自体が驚きとはいえ、世間の目は依然として冷笑的だった。
いまになって思えば、ターニングポイントとなったのは24年アジアカップの敗退だった。
この敗退によって、静まりかけていた森保監督に対する逆風は再び強まった。ただ、ここで森保監督が世間の流れに屈していたら、25年の躍進はなかった。
ひょっとすると、この大会で森保監督以上の批判にさらされたのが、GK鈴木彩艶だった。わたし自身、ペナルティエリアにおける彼の自信のなさ、統率力の低さが大きな敗因としてあったとは思う。ネット上では、なぜ鈴木なのか、なぜ小久保ブライアンではないのか、といった声も飛び交っていた。
だが、森保監督の鈴木に対する信頼は揺らがなかった。いや、揺らがなかったというよりは、GKとし持っているポテンシャルの大きさを信じた、といったところだろうか。小久保も悪いGKではないが、パワー、フィードの距離などではワンランクどころではない明らかな格差があった。
世界の頂点を目指すとはいっても、日本の実力はいまだ世界のトップではない。それでもW杯で上位に勝ち進むためには、ゴールマウスに君臨するワールドクラスのGKが必要であり、その条件を満たしていたのは、鈴木しかいなかった。少なくとも、森保監督はそう考えた。そう考えて、批判をものともせず、鈴木を使い続けた。
その信頼に、鈴木が応えた。所属するパルマで結果を残せたのも大きかったが、代表監督から揺るぎない信頼が、ポテンシャルに比して、気の小ささが散見された未完の大器を一気に成熟させた。
24年は弱点だったGKというポジションが、25年、ストロング・ポイントに変わった。
もう一つ、24年までは誰の目にも明らかだった「替えの効かないポジション」が、25年にはなくなった。というより、25年の日本代表は、日本サッカー史上はもちろんのこと、世界的に見ても稀なほど、レギュラーが見えないチームへと変貌した。
アジアカップの時は伊東(途中離脱)がいなかった。三笘はケガ明けで本調子にはほど遠かった。そして、そのことが敗因の一つとしてもあげられた。
25年の日本代表は違った。ブラジルを倒したチームに、三笘はいなかった。冨安も、板倉もいなかった。中盤の遠藤、守田も不在だった。だが、試合前も試合後も、彼らが欠けていることを懸念する声はほとんど聞こえてこなかった。
ブラジル戦を欠場した選手たちの能力に疑いの余地はない。それでも、仮に来年のW杯を欠場するようなことになったとしても、「これでは無理だ」といった空気にはなりそうもない。それぐらい、25年の日本代表は一気に戦力を充実させた。
3年前と同じ監督、同じメンバーを多く揃えた日本代表に、来年、多くの日本人は、当たり前のように決勝トーナメント進出を期待するだろう。それがどれほど途方もないことなのか、どれほど世界的に見てありえないことなのか、一番わかっていないのは他ならぬ日本人ではないか、という気もする。
オランダ、チュニジア、ヨーロッパからのプレーオフ勝ち抜き組という来年W杯での組み合わせは、3年前ほどではないものの、相当に厳しい組み合わせであることは間違いない。グループ1位での突破もあれば、最下位でも敗退もありうる、というのが現時点での個人的な印象である。
ただ、本大会がどんな結果に終わろうとも、決して少なくない日本人が決勝トーナメント進出を信じてW杯を迎える経験は、今後の日本にとって、かけがえのない財産となる。ドーハで敗れたことで、多くの日本人がW杯本大会への渇望を募らせたように、勝つつもりで臨んだ大会での痛みは、必ずや後の糧となる。少なくとも、日本のサッカーは、日本人は、そうした経験を重ねてきた。
W杯本大会での組み合わせが決まったその日、日本各地ではJ1昇格をかけたJ2プレーオフの準決勝が行なわれた。3点差をひっくり返したジェフ千葉を始め、試合内容が素晴らしかったのはもちろんだが、個人的にはどちらの会場も、スタンドがギッシリと埋まっていたことが嬉しかった。勝てばJ1、という決勝ではなく、まだ先のある準決勝であれだけの試合が展開され、それを数多くの人が体験したことが何よりも嬉しかった。
W杯出場を逃しても、セリエAは滅びない。プレミア・リーグの人気も落ちない。以前の日本は、W杯ごとに人気と注目度を高めるというサイクルに乗っかっており、それは代表チームの成績が日本サッカーの命運を握るという歪な“1本足打法”になっていたが、いよいよ、それが希薄になってきたと感じさせてくれた25年でもあった。
以前ではありえなかった1年。それは、日本サッカーが「結果に依存しない強さ」を手に入れ始めた年でもあった。それが25年という1年だったとわたしは思う。
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